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はりやのメニューに赤いウインナーがなぜある

ちょうど昨日、小学校の同級生が何人かで呑みに来てくれて
昔はこうだったとか、今ってこうよね、
なんていう他愛無い話をする中で
「これからは自分が楽しくいられることを一番に考えなきゃ」
って言われて、なんだかモヤモヤしていた。
まあ、いい年齢なんだから
周りに気を使ってばかりじゃダメよ
自分を大切にしていこう!ってな流れだった気がする。

ちょっと前から気になっていた
仕事のことをすっかり忘れられるような
趣味のようなものが私にはないな、ってこと。

例えばパンを焼くこととか
美味しいものを食べに行くこととか
会いたい人に会いに行くこととか
ふと頭に浮かぶことはこれくらいしかなくて
なんて私は無趣味な人間なんだとびっくらこいた。
しかもそれらは、なんだかんだ仕事につながること。
仕事の職種自体が生活に密着しているのだから仕方ないけれど

さて、「自分が楽しくいられること」
「自分を大切にすること」
こんな難しい質問、ある?
確かに仕事を細分化すれば
その中には嫌な仕事もあるけれど
どうにかこうにか楽しめるように
と言うか、何のためにそれをやるのかを
その目的だけを意識してやるようにしている。

以前取材していただいて出版してくださった
こちらの「女将さん酒場」

その中でも行きつくところは「世界平和」だと
偉そうに公言しているほど
結局そこなんだと意識していると
自分の幸せなんてそこが達成されなければ
得られないという悲観的な話じゃなく
「自分のやるべき役目」をこなしていくことが
今の自分にとって大事なんだと思うわけで。

俯瞰してみてみる大切さ。
例えば、味の素論争。
何が身体によくて何が身体に悪いかなんて
全ては人体実験をしなければ分からないことだと思っている。
同じ健康状態の人間を何種類も用意して
同じように何かを摂取させるなんて不可能に違いない。
マウスやモルモットで実験していても
所詮人間とは違う生き物でしかない。
生活習慣や受けるストレスなんかは計り知れない。
そんな中、何を選んで食していくのか。
これは「どう生きていくのか」という
大げさじゃない人生の選択だ思うのだ。

で、最初の同級生の話に戻るんだが。

「自分が楽しくいられること」
「自分を大切にすること」
この耳障りの良い言葉たちは
私にとってあまり意味のない事だったんだと気づく。
味の素を使ったっていいじゃないか
コンビニのご飯を食べたっていいじゃないか
しょっぱいラーメン屋のスープを飲みほしたっていいじゃないか
生きていく中の選択肢を狭めるよりは
「ちょうどいい」選択をして生きていった方が
よっぽど心地よい。
グルタミン酸ナトリウムや塩や醤油
砂糖や油、食品添加物、酒なんか
過剰に摂取すりゃ
どれもこれも毒になる。
なぜグルタミン酸ナトリウムだけが悪者扱いされるのか
私が学んだ範囲で理解しているのは
グルタミン酸ナトリウムというものは
塩や醤油、脂質などの分量を狂わせてしまうんだ。
グルタミン酸ナトリウムでうま味を得ることにより
塩分や脂質が感じられずに、多量に入れてしまう傾向がある。
その代わりに私は「出汁」を入れる。
飲食店としてそこは、じっちゃんの名に懸けて。

こうした「俯瞰してみること」が出来ないよりは
出来たほうが良いのだと
その中でちょうどいい選択は
私にとっては楽しいし大切。

やっとタイトルに戻るのだけれど
だから、はりやのメニューには
「赤いウインナー」があるのだ。
その話が最初に書いた話と繋がっているって
分かる人いるかなぁ。
なるべく手作りのメニューを提供したいと思っている女将が
なぜ「赤いウインナー」なのか。
いたら教えてね。


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