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リトルラゥム 2


ある日、サム、操縦デッキ管理担当ペアの生徒であり別のクラスではマーシャルアートの教官でもある彼と、いつものようにシステムチェックをしていると、窓の外、漆黒の宇宙空間に小型船が異様な角度で通り過るのが一瞬見えた。様子がおかしい。ふたりが窓のそばに駆け寄ると、船は灰色の煙の筋を引いていた。学校校舎から離れた高原に落ちようとしている。

「不時着よ!」

ヤナは叫んで小柄な彼女には大きすぎる全身スーツをざっとまとうとすぐさまモーターバイクに飛び乗り、サムも慌てて続いた。校舎を飛び出し、漆黒の空を彼方に岩石の地平を半浮遊走行しバイクは船を追った。船は地面を強く引きずって岩原の窪に引っかかって停止していた。
幸いドアの開閉機能が生きていたらしい、変形した外扉を蹴り上げると、内扉は中から開いた。ダークブラウンの長い髪をだらりと垂らし、這いずるように出てきたのは、見たことない青の制服をまとった美しい女性だった。血が顔を伝っている。外気温保護と空気循環機能の整ったバイク後部にサムが急いで彼女を抱え込み、医療設備のあるセンター街まで彼らは再び走りだした。

女性は病室で数日眠り続け、その間ヤナは毎日学校と病院を往復した。

サムが後日ぽつりと言ったことは、女性の着ていた制服のことだった。
かつて火星基地建設が賑わっていたとき、いわくつきの火星だ、地上組織の絡みから暴動が起こったときがあった。そのとき義勇団的な組織ができたらしい、その記録映像で見たのと同じ制服だと思うんだよ、、、
と語った。ご存知の通り気候条件の悪化やらでその後火星基地は廃れていったんだが、噂によると義勇団の一部は引き続き、火星を中継として太陽系外や銀河のどこかで自由意思による傭兵活動を続けているというんだが、そのうわさはもしかしたら本当だったのかもしれないな…、と。

ヤナにとっては意外な話だった。太陽系外への次元スキップも不可能ではないのだということをこの大学へ来て知ったというのに、もうすでに外へ向けて生きている人類が本当にいただなんて。


女性が目覚めたと報告を受けたのは、それから五日後のことだった。ヤナは大学を飛び出し病院へ向かった。


女性は病衣姿でベッドに腰掛けたまま、まぶしそうに外を眺めていた。スクリーンカットされた淡い陽をあびる彼女の姿が輝いて見え、ヤナは病室の入り口で立ち止まってしまった。ヤナの存在に気づくと、なにか懐かしいひとにでも会うように女性は穏やかに笑った。

「 ・・・夢で手を伸べてくれていた、 ・・・ああ・・・ あなただったのね。」

遅延型ミクロプラズマ弾が機体内部に仕掛けられていることに気づいたとき、とっさに月へ向かったことだけを覚えていると彼女は言った。幸い頭部や臓腑に深い損傷はなかったものの、折れた肋骨のさわる苦痛をこらえながら、軌道変更が成功したことを喜んだ。


「月・・・・か。 なつかしいわね・・・どのくらいぶりかしら・・・  」

「わたしはヤナよ。あなたは?」

「・・・わたしの名前? ・・・ ・・・ふふ、なんという名だったかしらね。 もうなまえなど とおのむかしに失くしたの。 わたしたちはみな、 それぞれを ひびきで呼んでいたから・・・ ことばをはなすのも ひさしぶりなのよ」

 たしかに女性は声をやっと出すように、 確認するかのようにぽつりぽつりと話した。

「響き?」
ヤナには何のことか分からなかった。

「あなたにもひびきがあるわ。 …ふふ、 あなたはなんて・・・ まるで小さな宝石みたいね 」

ヤナは女性の言葉のふしぶしに秘める、その秘密をただ感じてはただ目をくりくりしてじっと聞き耳をたてていた。

「あなたはずいぶん謎が多いみたいね。わたしがあなたの名前を考えておいてあげるわ」

ふたりは顔を合わせ笑いあった。


それから毎日のようにヤナは女性の病室に訪れた。ほとんどはヤナがしゃべっていた。学校のこと、地上のこと。地上のことになると彼女は興味深そうにいくつもヤナに質問をした。壊滅した都市が増え続けていることに、ひどく胸を痛めているようだった。


「まるで何十年もいなかったように聞くのね。いいのよ、このくらいないと。みんないい加減ひとつの方向へまとまろうって気にはならないんだから。」

ヤナはソファに身を投げ出して座った。そんなヤナの若い生意気を、女性はほほえましく笑った。そして自らが背負ってきていたものの重さを、改めて感じていた。

もう地上の風景もあまり思い出せずにいた。ただ、遠い過去、父親と歩いた故郷の麦畑のことを思い出していた。ひかる麦の穂のかなたまで広がる青い波だけが、彼女の瞼の裏にありありと見ることができた。

女性は月監理局員や病院関係者にまで固く口を閉ざしていたが、この少女にだけ、ぽつりぽつり、自らのことを語り始めた。

ヤナはいつしか彼女の世界にひきこまれていった。めまいのするような衝撃を覚えて・・・。





日々、彼女は少しずつヤナに語った。

火星での戦闘時代のこと。それは彼女にとってつらく重い時代だったこと。仲間の死や作戦の失敗。彼女の生きる希望を一撃で消してしまうほどのものの。

堕ちゆく火星で、ある星系からのものとの出会いがあった。新しい出発。


同行した彼女の行き着いた違う銀河のこと。文明同士の摩擦。地球の歴史の教訓を刻み込まれた彼女ら部隊の交渉。その役割を与える者のこと。

彼はたしかな姿を持たず、言葉を通したやりとりも、次第に言葉を越えた直の共鳴へと移る。彼は彼女のこころに直接触れた・・・。

その深い繋がり。

彼のはなしをするとき、彼女はふと’女’の顔になった。ヤナは少しどきっとしたが、若いヤナにはその理由が分からなかった。


関わった星の民への愛情と、無念。
まだ彼女たちの目指す理想のパワーバランスには至っていないこと。


ヤナは彼女の世界に触れる度に、自らの内の眠っている何かはじけていくように感じていた。次第に学校でも彼女の前でも、無口になっていった。



いつしか月日がたち、重力コントロールルームでのリハビリが進み、彼女の身体は回復していった。彼女の船の機体も、密かな協力者による修理工房にてエンジン部共鳴スペースの歪みも直り、彼女が月を去る日が近づいていった。

再出発の日が近づくにつれ、、彼女の瞳は深く、決意の眼差しをも秘め、彼女もまた無言になっていった。

別れの日。発着地の広い岩原にて、無限の星空を背に彼女とヤナは固く手をとった。互いに別れを惜しんで。

彼女の手はヤナの手と同じ、人間としての質感をもっていた。ただ熱く、そしてどこか哀しげな冷たさをももっていた。


「 わたし、いつかまたあなたに必ず会うわ 」

ヤナは誓った。


女性は優しく微笑んだ。

「 あなたに、新しい名前をあげる・・・ 」

「 ラゥム 」


( ・・・世界、 という意味よ
            
             あなたは   リトル・ラゥム )


それは少女の心のなかに直接聞こえ、はっとなった。

少女の目は今星々のように輝き、胸が高鳴った。

力強い失跡を残し、彼女の船が漆黒の彼方へ消えていっても、その影をいつまでも少女は見つめていた。


膨大な知識をここであそぶよりも、自らをして広大な世界を求めゆこうとする高まりを、その決意を、その目に宿して。