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「普通」を極めたデザイナーになりたい

小さいころから「つくる」ことが大好きでした。子どもの頃は、庭に溝を掘って水路を作ったり、リカちゃんハウス風の家を段ボールで作ったり。少し大きくなってからは手芸・編み物も好きでしたし、ファミコンのファミリーベーシックでドット絵を動かすことにもはまっていた時期がありました。

つくることは好きでしたが、小学生頃から気づいていたことがあります。

それは、「私は、普通だ」ということ。

奇抜な遊びやデザインを考えることもなく、大人に好評な上手な絵は描けるけれど、人を驚かせるようなものは作り出すことができない自分に気づいていました。そして、みんなの気持ちがワクワクするあそびや流行りを持ってくる友人を羨ましいと思っていたものです。


それでも「つくる」を仕事にしたかった

高校時代、そろそろ進路を考える時期になって、やっぱり私は「つくる」ことが好きだなと思いました。デザインの良い、機能的な「暮らしに役立つもの」をつくることを学ぶために、建築やデザインを学べる大学に進学しました。

そこでももう一度、小学生の頃と同じことに気づかされます。

「私は、普通だ」ということ。

今度は少しだけニュアンスが変わってきました。
当時、デザインを学ぶ大学生はみんな「人とは違ったこと」「今までには無いもの」を目指したデザインを学んでいました。
その時に、こんな普通な自分なのだから、もしかしたら普通を極める方がインパクトのあるデザインができるのではないかと気づいたのです。


クライアントの「普通」を極めたいえづくり

その後、デザインの中でも「建築」の分野に進み、自分の中で最もスケール感を丁寧にデザインできると感じた「住宅設計」を中心に仕事をしはじめました。

独立してから早16年。

子どもたちが赤ちゃんの頃から、育児をし、家事をしている母だからこそできる住まいのデザインをしてきました。育児・家事という役割と平行に仕事をしてきたので、仕事をたくさん請けることはできませんでしたが、個人のお客さまを対象にここまで仕事をしてこられたのは「クライアントにとっての普通」を追求したいえづくりをしてきたからだと思っています。

仕事をはじめたばかりの頃は、自分の設計する住まいの特徴を表現することができずに、少し悩んだこともありました。クライアントの希望するイメージに合わせてデザインするので、その家によって雰囲気が大きく変わるのです。

でも、あるときに、関連業者さんから「みんな違うけれど、どの家もとても機能的で過ごしやすくて、お客さまが喜ばれていますよね!」と言われ、「あ!それで良いんだ!」と気づいたのです。

私が徹底していたことは、クライアントの日常を読み取ること。

その人の「普通」は、私の「普通」とも他の人の「普通」とも違う。
ただ、その「普通」から大きく逸脱すると、暮らしには違和感を感じる。
その「普通」を大切にしてきたからこそ、デザインの見た目にはそれぞれ異なる家ができるけれども、それぞれのクライアントにとっては自分たちが心地よい家ができているのだと思います。


人はどうしても「先入観」を持ってしまうので、「私にとっての普通」を人に押し付けてしまうことがあります。今のSNSを見ていても「私の普通」を前面に出すことが個性を持つことだと勘違いしている人も多い気がします。

社会の中や、仕事の上では「特徴あるもの」を際立たせることは必要なのかもしれませんが、日々の暮らし、家での時間は「違和感」を感じない、自然体でいられることがとても大事だと思っています。

家くらい、自分のペースで穏やかに過ごしたいもの。


先日書いたツイートより。


だからこそ、私はこれからもっと、クライアントにとっての「普通を極めたデザイン」の家をつくりたい。
そこにどれだけ心地よく、お気に入りだと感じられる要素を盛り込めるか。

自分の「先入観」に負けない、いえづくりをしたい。






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