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Home is Where the Heart is.

今でも思い出す。初めてこのキャンパスに足を踏み入れた日を。
木々は生い茂っていて、それに負けじと、建物が威厳を持って立ち並んでいる。その迫力と土地の広大さ、開けた景色を肌で感じたとき、やっと、「あ、本当にここに来たんだ。」と、ふつふつと実感が沸いてきた。

今でも私の足元はフワフワしている。もうかれこれ、ここに来て1年が経つというのに。アメリカの大学にいる期間は4年という期限があり、この事実が「いつまでも私はここにいられる訳ではない」と教えるからだ。いつかは日本に帰ってくる日がやってくるのだろう。心の片隅でうっすらと、そう思いつつも、私の考えに逆行するように、ここでの日々はゆったりと穏やかに流れてゆく。

私のここでの1年間は、人生で最も幸せな1年間だった。人の温もりと優しさを感じられた。私のことを大切に想う人々に巡り逢えた。私は一人では生きてゆけないのだと知り、共に生きてくれる仲間の存在を知った。

ここに来た頃の私は、妙に自信があった。異国の地で暮らすことも、新しく友達を作ることも、私なら難なくできるだろうと過大評価さえしていた。(今思えば、自分の中にある不安をかき消そうと、そう言い聞かせていたのかもしれない。)しかし、現実は何ひとつ上手くいかなかった。生きることさえ、ひとりではできなかった。





衣ではなく、異。
自分の「異」変に気づいたのは、ここに来て1か月が経った頃だった。
涙が止まらず、ベッドに横たわる日々が続いた。何が原因か分からなかった。でも授業には行きたくなかったし、誰とも会いたくなかった。殻に閉じこもったさなぎになりたかった。
とにかくこの状況を抜け出したくて、とりあえずカウンセリングに行くことにした。


どうやら「食」事に原因があったらしい。
カウンセリングの先生に、ちゃんと食べてる?と聞かれて気づいた。思い返してみれば、果物しか食べていない日はザラにあったし、別人のようにピザとフライドポテトしか食べない日もあった。学食に味噌汁がないこと、肉じゃがや焼き魚のオプションがないこと。それがこんなにも自分にとってストレスになっていたとは、知らなかった。好きなものを好きな時に食べられないってこんなに辛いんだ、というか私ってこんなに日本食が好きなんだ(よりも、日本食がないと生きていけないレベル)、というのは、友達が作った親子丼を食べて涙が止まらなくなった時に初めて気づいた。


人と「住」むこと。
パーソナルスペース(一人の空間)がないこと。
全くついていけない授業からしょんぼり帰って、それを忘れるために大音量で音楽が流せないこと。部屋の中でゆっくりしながら、好きなタイミングで友達や家族と電話できないこと。(←ルームメイトと、このようにルールを決めていた。)これほど小さいと思えることでも、それらの積み重ねが、確実に私に負荷をかけていった。寮で人と生活を共にすることが、こんなに大変だとは全く知らなかった。


そして、愛

それでも、いやだからこそ、無条件の「愛」を感じられた。
見返りを求めない「愛」情をいっぱい注いでもらった。
いつも私の様子を気にかけてくれた大学の先輩。日本食を振舞ってくれた現地の日本人。私のメンタルヘルスを気にして、話を聞いてくれた教授。授業で分からない部分を丁寧に教えてくれた同級生。元気?と定期的に電話してくれた日本の友達。大量のふりかけとインスタント味噌汁を段ボールいっぱいに送ってくれた家族。

どれも、ひとりひとりの優しさだった。ひとつひとつの温もりに、どれほど救われたことだろう。
その人にとって損か得かは関係なく(利害関係を超えて)、ただただ一人の人間を想って注がれた愛情は、とても優しくて、温かかった。







※これらは私自身の体験談であり、誰もが留学を通して同じ経験をするという訳ではありません。

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