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生命活動と経済活動を分けて考える


自粛期間中に変化した意識の中で、これからの仕事術について思ったことがあるので、備忘録としてnoteに残しておこうと思います。

頭の中をざっくりと3つの流れで言語化してみました。今後の自分の人生に関わってくることなので、もっとブラッシュアップさせたいなと思っています。思わず長文になってしまったのですが、個人的にワクワクしているのは③なので、③だけでもお目通しいただけると嬉しいです。どうぞどうぞ宜しくお願いいたします。

①マニュアルが消えていく


失速するマニュアル

コロナウィルスがいよいよ本格的に危惧され始め、「これはどうやら日本も相当やばそうです」という3月あたりから感じるようになったこと、

それは「自己啓発系」「自己実現系」など、マニュアル系の威力が急速に失われている、という、なんの根拠もない私的確信、というよりも、脳より先に心が感知した、“実感”のようなもので、

「〜のための10の方法」
「5分でわかる〜の法則」
「迷ったら〜に聞け」
「〜だけが知っている〜のこと」

などなどの書籍、ブログがたちまちにして求心力を失ったような印象を持つようになりました。

もちろんずっと前からマニュアル系マーケットは既に飽和状態だったように思いますし、だからこそ受け手は、コロナがなくとも食傷気味になっていたとは思うけれど、それでもまだ個人的にはコロナ以前は数字のマジックや常套ワードが、ある程度のフックにはなっていました。

ところが3月になり、資本主義経済システムが急速にその速度を弱め、社会や世界というものが大きく変わっていこうとしている、その地底からの蠢きのようなものを体のどこかで感じていくうちに、タイトルの魔術が瞬く間に私の中で形骸化していきます。

内容を支える骨子としてのテンプレートが、ある種の“ウィルス”にかかり弱体化して脆く崩れたように感じ、隙間だらけになったテンプレートの向こうから微かに見えてきた、本来骨子になるべき筆者自体の真の意志のようなもの、柔らかい心のようなもの、根幹になるべきものが、志半ばのまま効率的な型にあてはめられ、商業ベースに乗せられている印象を受け、なんというか、「信じていた魔法はマジックなんでした。」と種明かしされてしまったような虚脱感を覚えたのでした。


私の日常もマニュアル化されていた

スイッチを押すと電気が点く、蛇口をひねると水が出る、お湯だって出る、用をたすとどこからかやってきた水が、ジャッとどこかに流し去ってくれる、冬でもトマトが買える。大きいはずの牛や豚が小さなパックに入って売られている、コンビニでもスーパーでも全国どこでも大量の牛乳が売られている。

私は今までそんな中央集約型の簡便な日常を当たり前のように享受していましたし、資本主義システムに対してほとんど思考停止状態で完全サレンダーしていましたが、マニュアル系、マニュアライズされた世界、その全てが消滅しようとしているかも、と思い始めてから、自分の日常が「永遠に変わらぬ常」どころか、「綿密に構築された商業システム」だったことを今更ながらに自覚し、更に「それが終わるかもしれぬとは。。」と考え込んでしまいました。

もはや思考停止なんてしてる場合じゃありません。次にどんな消える魔球が飛んでくるか分かりません。なにせいきなりこんな状況になるんですから、「来月より水道水は1lあたり158円となります」とか、「野菜の種は一律一粒800円となりますので、事実上日常的に食べることができない高級品となります」とか、もう斜め上すぎて目視できない市場が突然やってきてもおかしくないわけです。

これらはみな、自分の生活を得体の知れない何かに明け渡しているからこそ起きる異常な日常であって、おかしいと思うならば自分の手の中に、身の丈の日常を引き戻す必要があるよな、と考えるようになりました。更に、今なら引き戻すことが可能かもしれない、とも。



②自分の日常を作り直す

日常の立て直し、ということをつらつらと考えていた時、大きなヒントを下さったのはお客様でした。

ここで唐突に自己紹介になりますが、私は、D2Cアパレルブランドの企画販売をしています。布作りに手間をかけているので単価が高く、廃棄率ゼロを目指して完全オーダー少量生産制にしているので、更に高価になります。ニッチな商材を試着なしのECで購入する、サステナビリティを理解しラグジュアリーな商材をご自身の生活に取り込んでくれる、そんなお客様は多くはいらっしゃらないわけで、自然、コアユーザーのお客様に支えて頂く形となります。

このコアユーザーのお客様が、商業ベースのみならず、運営サイド個々の今後のライフ設計にも大きく寄与してくださっているのです。

商材の特質上、顧客の方はHSP(Highly Sensitive Person)の方が多いので、サステナビリティにしてもオーガニックにしてもホリスティックヘルスケアにしても、「意識高い系」じゃなくて「切実系」です。心と体が受け付ける衣服を探していたら辿り着きました、という真摯な方たちです。

その方々とクローズドなコミュニティで対話をしていると、みなさんかなり真剣に食料の自給自足を計画していらっしゃる。

待ったなしだと感じる、と。
そして更に、こんな風にも仰るんです。

「食べることを自前でやれれば、あとの仕事は遊びみたいなもの」と。

かっこいい!と思いました。
そしてそうありたいと思いました。

そうありたいです!と言ったら、「ECですもの、明日にでもできちゃいますよね」と。

ほんとそうだと思いました。


③生命活動は仕事。経済活動は遊び。

お客様とのオンラインサロンの中で、食糧の自給について熱く語り合いました。

「なにはともあれ米、味噌、梅干しですよね。」
「米は年間1人あたり1俵食べるとして田んぼ1人あたり2畝あれば良いらしい。」
「果樹いいですよね。特に大変な手入れがなくても剪定時期と仕方さえ気をつければ、食べきれないほどに実をつけてくれるらしいですよ。梅の木はもちろん、柑橘系もほしいな。枇杷の木があれば薬にもお茶にもできるし。」「大量に枝豆を作れば、根粒菌のおかげで土もよくなるらしいし、大豆製品は自前で制覇できる。野草を見る目を育てればなんとかやっていけるかもですね。」
「だいたいすごいですよね。哺乳類は切ったらそこで終わりだけど、植物は切った部分から増えていくわけですから。無限ですよほんと。」

ああ、楽しい。。。ワクワクが止まらないひと時でした。学ぶことがたくさんありました。

食糧の自給について具体的に話していく中で、目からウロコだったご意見があって、

「そもそもにおいて経済活動が生命活動の中に侵食していったことが総ての元凶なんじゃないか」と。

「生命活動と経済活動をはっきりと分けるべきだ」と。

なるほどと思いました。

生命活動は「生きたい」と望む限り自発的に行う衣食住の確保作業です。そしてそこに経済活動が入り込みさえしなければ、仲間で耕してできた作物を心置きなく共有することができる。衣服も居住空間も共有する方法はいくらでもある。

問題は、食糧の自給が、基本重労働だってことと(米なんかは資金かけずに自前で機械に頼らず作るとするとなかなかの重労働なのだとか)、不確定要素に満ちていること。気候がどんどんハードになっているので切実な問題です。

「そこを経済活動で日々カバーすると良いんでしょうね。なんというか遊びのように。」

なるほどと思いました(そればっかりw)。

リモートワーク、EC事業、5G、仮想通貨、ロケフリ、デュアルライフ。。。リモートワークなんて間も無くしっかりと市民権を得るのだろうし、そうなるとますますロケフリになる。いくらECでも実店舗持たなくちゃね、という脅迫観念もなくなる。経済活動は生命活動と直結させず、「不確定要素を楽しむ隙間」として構築しておく。

今までよりも軽やかな方向に転換できさえすれば、身の丈にあった日常を組み立てて、うまいこと生きていけるという気がしてきました。

永遠に成長し続ける経済活動ではなく、生命活動という地に足のついた労働の合間の、遊びとしての経済活動。もはやそれは表現活動と言ってもいいですよね。

そう考えた時、①マニュアルが消えていくで触れた、脆いテンプレートの向こうに微かに見えていた「発信者の心」というものがポイントになってくるのじゃないか、と思い始めました。

資本主義社会において、グローバリゼーションにおいて、置いてけぼりを食らうのはいつも心です。

心を中心に据え、小さな経済活動を「喜び」、「遊び」と捉えたならば、世界はグルンと反転するでしょう。


マニュアルは消える。

システムは変わる。

真の労働が残って、遊びが生まれる。

今まで仕事だと思っていたものは遊びに昇華される。
置き去りにされていた心が蘇る。


本気でこの路線に進んでいきたい。私やります!


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