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中1だった日々。1993年。



好きだった場所がうらぶれていた。何年かぶりに地元の公民館の前を通ったら、立入禁止と閉ざされて、雑草生え放題になっていた。

小学生のころここの図書室に通った。本の裏の図書カードに子供の書いた字じゃない名前が並んでいるのが嬉しかった。学校と家庭以外に雨風がしのげて私が居てもいい場所があることは貴重だった。

中1の夏休み、私がいた美術部で同人誌をつくることになった。部員は全員メガネの暗い女子だった。
一人何ページ〆切いついつまでと決まった。理由は忘れたが、学校の美術室ではなく公民館の会議室をほぼフリーで使わせてもらえた。
毎日のようにメガネの暗い女子が集まっては辛いとか大変だとか口では言いながらも、ワクワクしながら必死こいてマンガを描いてた。

その一方、狭い世界で生きていた私達は誰もマンガを書いてることをオープンにしたくなかった。
ドラゴンボールとかじゃない12チャンのアニメオタクだとばれた際に受けるかもしれないいじめや孤立を恐れた。
密教徒のように活動した。

あんなに一生懸命がんばって作って出来上がった同人誌を私は誰にも見せなかった。

メガネの女子達は、同人誌の事を中学の人達には公にしないと、一言も約束はしていないけど、わかっていた。できるはずがないことだと、これ以上ないほどわかっていた。
それは中学の狭い社会のなかで、空気が吸える場所がさらに減る事を意味していて、生きていけないと言っていいくらいの事になるとわかっていたから。

会議室の本棚に私達の同人誌が閲覧用で一冊置かれたけど、誰かに読んで欲しいのか誰にも読んでほしくないのかわからなかった。

でも夏の会議室では好きなことを堂々と話せて、ここだけは守られていると知っていたから楽しかった。

その後私はロック音楽にのめり込んで、美術部を辞めて軽音楽部へ入った。
終わり。

そんな事が頭に浮かんできた。公民館の建物はあれども人の出入りがなければ死んだも同然。終わってしまった。

年月を経て世間も自分も変化した。
あの頃の抑圧はなんだったんだろう。
高校生の息子が普通に親(私)とアニメの話をしたり、街で普通にアニメグッズを身に着けている人を見ると、30年でこんなに変わるのかーと思う。
別に何も悪いことしてないのに好きなものを好きと言えないって地獄だったよな。
(人権を踏みにじるような内容の創作物は別。規制されるべきと思う)

その同人誌に私はセーラームーンの話を描いた。公民館での一夏が全部詰まって、もし見ることができたら匂いまで感じられそうだ。二度とないけど。

今は今で不自由なことはたくさんあって、比べられないけど。思い出させてくれありがとうな。ありがとう公民館。

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