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急性心筋炎で大切な人を失いかけた日

夫が急性心筋炎で重篤な状態になった。原因は不明だが、ワクチン接種1回目直後から起きたことである。その経過を今記録しておく。

はじめに伝えておきたいこと


この記事を書くのは勇気がいる。昨年からのコロナ騒ぎ、色んなことを色んな人が語るのをSNSで目にして、ちょっと気持ちが塞いでいたからだ。

私は「リアルに対応現場にいる人」や「感染医療の専門家以外の人」が、この未知の病気の対策や方針について語ることが好きではない。
1人1人が個人的経験を語るのは大切だと思うけど、あたかも自分がすべてをわかっている風に語る人が苦手だ。また非論理的ななんちゃって医療や、怪しげな民間信仰的な医療の話も苦手だ。
ましてや陰謀論なんて、関東大震災のデマの繰り返しだと思う。

だからマスクはするし、ワクチンも接種するつもりだし、旅行も外食もほとんど行かない。この2年間、九州への帰省もしていない。
1回だけ、緊急事態宣言がかかっていない時期に、誰も来ない長野の山奥にスキーに行った。プライベートの移動は自家用車がほとんどだ。

旅行や外食に行かないことについては経済的縮小を招くことには心が痛んだし、心情も揺れた。そのことでは、わたしよりもっと強固な持論を展開する夫と対立することもあった。

でも揺れた結果、公共性を優先的に重んじようと心に決めた。

ただ何も考えずに政府に従った気持ちはない。日本政府のやり方(物事の進め方、説明の仕方)がいいとも思っていない。
でも、他人に病気をうつす、自分がうつされるという可能性がある以上、また全容が解明されていない以上、「今考えられる最善のこと」はしようと思っている。経済的保障とは別の次元の話だと思うからだ。

また私も出勤の必要なサラリーマンであり、自席に近い人が立て続けにコロナに罹患している現実もあり、恐怖感も増している。

前置きが長くなったが、要は、わたしがこれから書くことはワクチンを打たないで、というメッセージではないということ。これで「ワクチン怖い」とは短絡的に思ってはほしくない、ということだ。

夫の今の状態と、このnoteを書こうと思ったキッカケ


2021年8月18日から、わたしの夫は急性心筋炎と診断され、GICUという集中治療室に入っている。非常に重篤な状態で、ここ数日が山だと医師に言われている。
これを書こうと思ったのは、誰かの役に立つかもしれないし、今のうちに経緯を書いておこうかなと思ったのだ。
また夫婦二人暮らしで、すべてにおいて夫を頼りにしていた私にとって、今のこの状態はあまりに辛すぎて、文章でも書いていないと落ち着かない。かといって、夫の病気と関係ないことは、今は何も書く気にならない。
この話が似たような状況にいる人の手助けや、心のよりどころになればよいなと思う。

夫のスペック


夫は1972年生まれの現在48歳。
背丈は170㎝で、筋肉質な細マッチョな体格だ。後ろ姿だけなら30歳くらいに思われると思う。ただそのわりに体脂肪率は高い。

運動を好み、スキーはプロでなければ勝てないほどうまい(と思う)。普段はテニス、ゴルフを週1回以上。それだけでは体格は保てないと思うが、常に「体つくり」を意識しているので、筋トレやストレッチ、食べ物など、素人ながら研究に余念がない。いわゆるスポーツマンだ。

子供の時に小児ぜんそくにかかった。その頃からアトピー性皮膚炎が全身にあるが、今は割合落ち着いていて、ステロイド・プロトピックを部分的に使う程度。
2016年と2020年に仕事のストレスからうつ病を患ったが、他の活動はできるぐらい、かなり軽度ではあった。退職して周囲の理解を得て十分に休養した結果、2021年に再就職。今はほぼテレワークだ。

平熱は36度ぎりぎりの低さ。
高血圧の指摘を何度か健康診断で受けたが、病院に行ったものの、特に治療には及ばないとのこと(最近だと上が129、下が92)
2016年から毎年のように「洞性徐脈」という指摘も受けたが、異常ではないとのこと。そのときの診断では「あなたみたいなアスリートぽい人には多いんですよね」と言われた。
今回改めて検診結果を見たら、昨年はそれ以外にも「完全右脚ブロック」という結果が出ていたが、これも特に再検査などは言われていない。

ちなみに何かあるとすぐに「痛い」「辛い」「無理」と騒ぐ、大げさな人だ。体調が悪いときは無理をして頑張るというより、大事をとって休むという、昭和生まれと思えないタイプ。

病気が判明した経緯


8月13日(金)


テレワークの仕事の合間に、東京都の居住している市の集団接種会場にてワクチン1回目を打つ。ファイザー製。
自宅に戻ると「とにかく打った左手が痛い」と騒ぐ。妻は「まあそういうものらしいよ」とスルーした。

8月14日(土)

倦怠感があって辛い、頭痛もあるし熱っぽいと訴えて熱をはかる。たしか37度2分ぐらいだったはず。彼は普段は平熱が低いので「大変だ」と騒ぐ。
またこの時も「熱が出るとは聞くけどモデルナ2回目のほうがよく聞いていたよね。おかしいね」と妻はまたスルー。
腕は前日より痛みを増して、少し触れただけで痛いと言っていた。
食欲は普通にある。

夜は早めに1人で就寝。しばらくすると起きてくる。そんなことは、結婚以来15年なかったことなので驚く。熱っぽくて寝れないと訴える。

熱をはかると38度を超えている。とりあえずロキソニンを飲み寝る。首の下に保冷剤を入れてあげる。1時間後ぐらいに見に行くと、すうすう寝ていた。
どんなにしんどくても鎮痛薬や解熱剤はあまり飲まないほうなので、よほどしんどかったらしい。

また後で聞いたところによると、ひどい下痢もしたとのことだった。

8月15日(日)

昼近くまで就寝。起きると倦怠感を引き続き訴える。
熱をはかると平熱になっていたが、動悸がすると言うので、さすがに嫌な感じを受ける。

(※動悸はもっと前から訴えていたかもしれない。ただその時は私も軽く考えていたので記憶が曖昧だ。この時「嫌だな」と思ったことは、はっきりと覚えている。)

妻は食料調達のため電車で近くのターミナル駅に外出。普段は車でなければスーパーもいけない場所なので不便。Suicaをかざしたときに残額が4,444円。不吉な偶然だなあと、また嫌な感じを受ける。

昼の14時頃に「動悸が激しくなってきた」とLINEが入る。そのうち動悸はおさまったが、今度は熱が上がった気がして測ってみると37.7度になったとのこと。ロキソニンを飲むと連絡あり。

終始一貫して食欲はあり、夕食はもりもりと食べる。さすがに動悸がするのはこわいので、明日は病院に行くことで方針決定。
寝ていると体が寒いと訴えるので毛布を出す。東京は長雨で20度をわる低温高多湿だったので理由がはっきりしない。

宅急便で夫が6月から勤めている会社から「歓迎会家呑みセット」が届く。20年以上勤めた前の会社を辞めて、夫は転職したばかり。中を開けるとなんだかやたらと豪華だ。


8月16日(月)

熱は37度台。ここ数日の傾向から、朝や昼は体温が落ち着いている感じだ。
妻は出勤。病院に行く約束をして会社に向かう。

LINEで連絡あり。徒歩で通える近くのクリニックに行くと、夏期休暇中のためやっていなかったとのこと。

仕方がないので、自分で運転して、うつ病の時にお世話になったKクリニックに。小さいが、内科や皮膚科など他の科も扱っている病院だからだ。
発熱のことを訴えると、ちょっとした騒ぎになったらしい。発熱外来という外に設置したプレハブに入らされ、抗原検査を受けて問題なし。PCR検査を受けるが結果は翌日のこと。

いつもみてくれるK医師によると、「コロナに罹患している可能性もある。副反応かと思って検査したらコロナだった事例が多い。ただ抗原検査で陰性で、PCRが陽性だったことはまだこの病院ではない。」とのこと。
発熱対処のためカロナールを処方されてとりあえず自宅に戻る。

会社が主催してくれる夕方のオンライン歓迎会は出ないことに。いただいた「歓迎会セット」を夕食として食す。止めたのだが、セットについていたビールも飲んでいた。「せっかくもらったものだから」と。

ここ数日仕事に参加できず、関係者と話もできていない状況があったので、少しでも参加したかったのかもしれない。いつもそうだが、食べているときはとても元気。

動悸、倦怠感を引き続き訴える。夜に手を触ると冷たい。もともと男性のわりに手が冷たい人なのだが。顔色も悪く寒さを訴える。

ここ数日、1人で家事をしたり気を使ったりしていたせいか、わたし自身も疲労度マックスに感じる。

8月17日(火)

朝の体温がとても低い。36度ないぐらいだった。いくら何でも低すぎる。この日は私がテレワークだったので様子が見れて安心。
医師からの電話を待つがなかなか来ない。「状況によっては今日じゃないかもって話だよ」と夫。

「倦怠感と動悸がする。息も辛い」と、クッションを重ねて寝そべっている。そういえばワクチンを受けてからずっとこんな感じだし、活力がないなあと、今更思う。

夜18時頃に医師から電話。陰性と聞いて、とりあえず安堵。

動悸は相変わらずある。夜になると熱は上がった。(37度後半だったはず)。処方されたカロナールを飲んでもあまり下がらない。

夫が「何かおかしい」と言って血圧をはかると、信じられないくらい低い(上が100を切っていた)。この血圧測定器は高血圧対応のため夫が自分で買ったものだ。

「電池切れかな?あなたも、はかってみてくれない?」
と言われて私が測ると、いつもと同じぐらいだった。電池は足りているらしい。

二人で「心臓の機能が低下している?だから手も冷たいし、血圧も低いのかも。」という話になる。この感覚は後で当たっていた。

夕方ぐらいから「喘息ぽい感じも出てきた」と言う。でも、ひーひーと鳴る感じではなくて息苦しそうに見えた。

「明日はもう一度病院に行くんだよ。危ないからM子さん(近くに住む夫の妹)に車で連れて行ってもらうか、タクシーで行きなよ」と言う。

「1人で行くつもり。でも無理なら頼むと連絡してある」と夫。

※冷静に考えると、絶対に運転はやめるべき。心臓が止まって他の人をひき殺しかねない。

息が苦しくて寝づらいらしい。クッションを重ねて座って寝るほうが楽かもしれないとか言いながら、結局は寝ていた。
「喘息になっているかもしれない」と夫は言うが、何となく喘息と違うようにも感じた。


8月18日(水) 救急搬送されるまで

わたしが会社に向かう8時過ぎに起床してくる。立ち眩みがすると言って元気がない。

前日、ちょっとしたことでイラっとしたことがあり、通勤中にLINEでそれを伝える。私は何でも彼には包み隠さず話してしまう。でも倒れてから後悔した。

その後10時頃に「立ち眩みがひどくてヤバいから、病院に連れて行ってもらう」と、LINEに連絡が入った。

実は前日行く病院に悩んでいた。
もう1つ、高血圧のことで相談していたNクリニックという医院が別にあり、そこは循環器内科も扱っていた。
月曜日にいったKクリニックの医師は信頼できる人だが、「心臓ならあっちじゃないか」と。
しかし別の病院に行けば、またPCR検査から始めないとならない。最近知人が重い肺炎になったのだが、どこに行ってもPCR検査からなので治療を受けるのが遅れてしまった。それを考えるとKのほうがいい。

朝はどちらに行くのか決めかねている風だった。

「Nクリニック?」
とLINEを送ったが返事がない。既読もつかない。移動中か診察中なのかなあと思ってそのままに。

11時頃に夫の母より電話。病院で気を失って倒れたらしい。

妹は駐車場で待っていたので様子を見ていなかったが、周囲の人の話だと「頭を打ったんじゃないか」ということだったので、ふらつくとかではなく、完全に倒れたらしい。「2回も気を失った」とも言われたそうだ。

すぐに意識を取り戻して自分で駐車場の妹に連絡をしたらしい。救急に電話をしていただき、K先生が紹介状を書いてくれて、すぐ近くの高度急性期病院に搬送されることになった。妹は車で後を追った。

見送るK先生の顔は引きつっていたらしい。


8月18日(水) 救急搬送後

わたしは早退して10分後に到着。職場が近いのはラッキーだった。待合室で妹と会って倒れたときの話を聞く。ただ搬送されてからは様子を見ていないとのこと。

かなり長い時間待たされ、2時間以上経過した後、医師になりたてじゃないか?と思うほど若くて背の高い男性医師が書類を手に入ってくる。

単に気を失ったのではなくて「心不全」であり、非常に危ない状態ではあること、部分麻酔をしてペースメーカーを入れること、カテーテル検査をすること、場合によっては生体検査もすること、そのほか、医療上のリスクの説明を受け、大量の書類に代理でサインを求められる。

過去に心臓の病気がある家族がいないかを聞かれる。妹の話では父方の祖父が心筋梗塞で死亡、母親も心臓の異常を言われたらしい。ただ母は「あなたぐらいなら治療は不要」と言われたので、病気という病気ではなかったそう。

しばらくすると、別の男性がビニール袋2つを持ってくる。

その中には、夫の靴、バッグ、服は下着まで入っており、彼は全裸だとわかる。私も救急にお世話になったことはあるが、ここまですべて脱いだことはない。コロナ対応のためかもしれないが事の重大さを改めて感じる。

荷物から保険証が見つかったので、窓口で手続き。おむつや入院セット(パジャマ、タオルなど)の申し込みについて説明を受ける。おむつをつける場合は、必ず本人や代理人の同意が必要らしい。
テレビ・冷蔵庫の申し込みも聞かれるが、そもそもそんな状態なのか?判断もつかない。後で申し込みできると聞いてとりあえず「なし」を選ぶ。

しばらくすると、また別の医師が来て、今から移るGICU(総合的集中治療室)に案内すると言う。

GICUの前に座っていると、若い看護士が来て、先ほど受付で説明された書類について話をしたいようだが、意図が今一つはっきりしない。
パジャマはどうするか?とか、おむつは?とか聞かれても判断ができない。そもそもコロナの状況で差し入れができるのか?GICUではどんな服装なのか?ちょっと頼りがなくてこちらも対応に困る看護士さんだった。

とりあえずGICUにいる間は、病院提供の物を使うことにした。

再び書類への記入やサイン。ここに来てからサインしかしていない気がする。

また普段使用している内服薬を渡す必要があるとわかる。これはどんな入院でも同じこと。本日中に持ってくる約束をする。

しばらくすると、ちゃきちゃきした中堅クラスの看護師さんが現れ、「もうしっかり話もされますし、大丈夫ですよ。もう1つ検査するため遅れていますが、15分ぐらいしたら来ますからご安心ください」と言われる。
この人は今日会った病院の人の中で、一番安心を与えてくれた人であった。

待っている間に窓口で入院手続き。
「お待ちください」と言われたので、「あと10分で戻らないと会えないんです」と話して、急いで対処してもらう。ありがたかった。感謝。

GICUまで戻ってしばらくすると、最初に会った若い医師がベッドに寝ている夫を運んできた。その様子はまさに重病人である。
薬の保管場所とお薬手帳の場所を聞き出し、スマホを見せて彼の会社の連絡先を聞く。
目だけ動かすが口調は軽く、おどけた感じで、いつもの彼だった。

医師から別室で説明がある。

そもそも心臓に異常があると気づいたのは、おそらく救急隊員で、心電図を見て危険な不整脈の状態と判断されたらしい。

診断は「急性心筋炎」とのこと。ちなみに事前に看護士にもらった書類によると「完全房室ブロック」という記載があった。

よくわからないが、心房と心室の電気連絡が遮断され、血流が送られない状態になっていたらしい。完全に停止すると血液が脳に送られず意識を喪失する。しかし常に停止する状態ではないのでまたつながると意識が戻る、という状態だったらしい。

今はペースメーカーを入れることで、その電気信号の遮断が起きないようになっているそう。なお、冠動脈には異常がなかったとのこと(あると大変なことらしい)。心筋症は風邪のようなもので明確な要因はわからず、対処療法しかできない、またコロナワクチンとの関連性も不明、ということだった。

今後はまだ数日は予断を許さず、もしペースメーカーを入れても正常に心臓が動作しない場合は、ECMOなど心臓補助装置を入れる必要も出てくるそう。今は安定しているが急変する可能性はあるという話だった。数日はGICUで様子を見て、安定すれば一般病棟に移動となる。

このコロナの時期、一般病棟に移動する瞬間しか会えないと言われた。入院はおそらく2週間以上。

夕方一旦自宅に戻り、普段服用している薬とお薬手帳をもって引き返す。自宅そばまで夫の妹に送ってもらい、自宅に着いたのは、夕方17時頃。

長い一日だった。
正直、まったくお腹が空かず、昼食をとっていないことも忘れていたぐらいだった。

8月18日(水) 妻が帰宅後

帰宅したあとは1人になると、涙がどっとあふれてしまった。今までずっと気が張っていたらしい。

とりあえず彼の会社の人に電話。状況を伝えて健康保険組合に申請が必要なことをお願いする。初めて話す男性の明るく力強い声になぜか励まされた。

自分のスマホのGoogleカレンダーで夫婦で共有している予定を確認。次に彼のスマホから、約束があったと思われる人にLINEを使って次々に連絡。今は「個の時代」だから、家族といっても友人・知人に連絡をとるのは一苦労だなと感じた。ただ逆に、こうやって楽に連絡ができるツールもあるのだが。

ゴルフやテニスの約束をした人たち、彼がWebサイトの構築を手伝っている人たちから、次々と返信をいただき心が温まった。

医師に「完全に心臓は止まった状態があった」と言われると、クリニックで倒れたこと、今時期、搬送先が迅速かつ近くに見つかったのは、本当にラッキーだったと思う。

またワクチンとの関係性は不明というのが認識だが、接種後に発熱し、すぐその後に動悸が始まったので、要因でなくても「引き金」にはなったのだろうと感じている。

容体が急変したときは電話があるので、夜中は電話が怖くて仕方がない。1日目の夜は泣けて泣けて仕方がなかった。大切なものを永久に失うのではないかという恐怖感は、今まで味わったことがないものだった。

知っている人で夫が急死した人が二人いるのだが、その人たちの痛みをまったくわかっていなかったと思ったし、例えば3.11で家族や恋人を突然奪われた人の気持ちもまったくわかっていなかったと思った。

また最初に「熱がある、辛い」と訴えてきたときに「また大げさだなあ」と思ってスルーしてしまったことを、死ぬほど後悔した。

ちなみに最後に自分の家族にも電話したが、叔母の言葉にカチンと来て大ゲンカになった。やめておけばよかった。母のひたすら心配する声もよくわからない。誰よりも自分の家族に一番ストレスを感じる。おかげで倍辛くなった。自分が辛い時に連絡する相手は選んだほうがいい。

今まで自分の家族と闘ってきた歴史を思い出した。いい人たちではあるのだが、一緒にいると衝突が起き、わたしは泣き叫んでしまう。東京での私と違う人間になってしまう。癒しの時間は3日も持たない。

長い間私が家族を持ちたくなかったこと、持つなら全く違う世界を作りたかったことを思い出す。
私にとって心から気を許せる家族は、唯一夫であることを実感した。
彼の繊細な優しさ、品のある配慮、思慮深さ、あふれるデリカシーが大好きなのだ。そう気づくとますます1人になるのが怖くなり、涙があふれてくる。

泣きすぎて手が震えてきて、いい年をしてぬいぐるみを抱いて寝た。スマホを脇に置きながら。


8月19日(木)

救急搬送されて2日目。深夜も早朝も電話は来ない。少しだけ安心する。
会社に行く気力もわかないので休むことにした。電話をするルールだがメールだけ。
1人でいるとなかなか憂鬱なので、夕方、食料品の買い物に出かけた。目に入る緑と青空に癒された。




おわりに


ワクチン接種後に心筋炎になる事例はそこそこあることは、検索すると出てくる。日本でも報告されているらしい。比較的若い男性が多いようである。

50歳近い夫がなぜこうなったのか、ワクチン以外の要因があるのかは、わからないし、断定もできない。

ただ心筋炎は本当に怖い。

ガンのような長期の病気を一番怖がっていたが、心臓の病気は一瞬で身体を停止させると思った。また心筋炎について「数日たてば治る」みたいな記事を見て、わたしも軽く考えていたところがあったが、動悸や息切れがする場合は、とにかく病院に早めに行ったほうがいいと思う。

また「嫌な感じ」は直観的に当たっていた気がする。
実はそれ以外にも不思議な偶然があった。たとえば次週以降の予定でダメになったものがあった。これもそうなるんじゃないかな、という感じがしていた。
意外とそんな感覚も大切なんだと思う。

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