文字を持たなかった昭和 四十九(桃の節句2)

 「桃の節句1」の、餅つきの続きである。

 餅がだいたい搗けたら、色をつける。桃色の餅は水で溶いた食紅を混ぜる。お茶碗に溶いたときは「こんなに真っ赤?」と思われるような色も、白い餅に少しずつ振り入れさらに搗いていくうちに、全体がほんのりしたピンク色に染まる。草餅は、用意した蓬を餅に搗き込む。食紅のように液体ではないのでムラがないように混ぜ込んでいくのは簡単ではないが、立ち上る蓬の香りとともに、餅は見る見る深めの緑色に染まっていく。いずれも、色ムラがないように仕上げるのに、搗き手と返し手の呼吸が合っていることが大事だ。

 餅が搗きあがったら、餅取り粉を敷いた大きな蓑にいったん取る。ここはお婆さんたちの出番だ。蓑に取った餅を、目的に合わせて大小にちぎり、伸し餅はもろぶたに移し、丸餅は適度な大きさにちぎってポンポンと蓑の中に放る。丸める係はそれを各自で取るのだ。

 伸し餅はもろぶたの中で均等に伸されるのだが、もろぶたに置く前に、ちぎり口が妙にねじれていたりすると、どんなにきれいに伸しても、ちぎり口が裂け目になってしまいいい伸し餅にはならない。丸餅も同様で、ちぎり口をきれいに丸め込まないと、餅が固まる過程で裂け目ができてしまうのだ。

 まだ力が足りない子供たちの場合ほとんどが餅を丸める係で、お婆さんたちがちぎってくれたまだ熱い餅を、小さな手で一生懸命丸める。丸い形にすることは当然として、ちぎり口をきれいに丸め込むこと以外に、こんもりした形に整えることに気を付けた。熱くて柔らかい餅は、重力にしたがって拡がりながら冷めるので、できるだけこんもり形作らないと、薄くだらしない餅になってしまう。周りの大人たちに「きれいに丸められたね」と褒められるのがうれしくて、子供たちは一生懸命に丸めた。

 伸し餅、丸餅とも三色を搗いた。伸し餅は、固まってきたころに母のミヨ子が菱型に切り、三色を重ねてお仏壇や床の間に供えた。まず縦長に切ってから、斜めに包丁を入れて菱形にするのだが、定規を当てたりするわけでもなく、菱形が微妙に歪んだり、大きさがまちまちになったりした。手作りならでは、と言えば聞こえはいいが、毎年のことでも切るときはそれなりに緊張した。丸餅はそのまま焼いて食べたり、焼いて醤油をつけてから畑に持って行ってお茶請けにしたりした。

 菱餅を切った残りの縁は、薄く切り干してかき餅にした。桃の節句の餅は色がきれいなので、干しあがったあと油で揚げて食べるのはもちろん楽しみなものだが、それ以上に保存食品としての役目が期待された。

 年に一回の行事を一家総出で準備し、節句のあとも違う形で楽しんだり役立てたりする。生活とか家庭とかの原点がそこにあった。

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