文字を持たなかった昭和448 困難な時代(7)TOROYのソックス②

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 あらたに、昭和50年代前半に取り組んだハウスキュウリに失敗し一家が厳しい時代を迎えた頃のことを書いている。ミヨ子たちのような専業農家は現金収入が限られる一方で、支出の抑制には限界があること、しかし農村ならではのつきあいから交際費は出ていくことを述べた。いずれも楽しい内容ではなく、この先も楽しい話にはなりそうもない。

 前項では、当時のできごととして、高校生だった娘の二三四(わたし)が、生徒の間でも流行していた「TOROY」ブランドのソックスを買い、学校へ履いていくようになったところまで書いた。

 普及品よりは多少丈夫に作られているブランドものとはいえ、しょせん靴下だ。ていねいに扱うのは限界がある。やがて両方の親指の先に穴が空いた。

 だが、買った時の値段を考えると捨てられない。なによりTOROYだ。もったいない。二三四は、靴下を裏返して、穴の部分を白い糸でかがった。いまでいうリペアだが、特別な技術があるわけではない。表に返すと穴をかがった部分は少しひきつり、履くとちょっとだけ窮屈になった。でも、まだ履ける。なんといってもTOROYだもん。そう簡単には捨てられない。

 そのソックスを履いていったある日の体育の時間。女子は創作ダンスの授業だった。二三四は出席番号の関係で、ひらたく言えばちょっと不良っぽい子たちとなんとなく仲間になった。授業のあとはすぐに帰って家のことをしなければならなかった二三四は、その子たちと放課後に遊ぶことはなかったが、休み時間はなんとなくいっしょにいた。ダンスのグループもほぼ同じメンバーだった。

 靴を脱いで体育館に入り、グループに分かれて座ってダンスのアイディアを出し合う。床に体育座りして輪になったとき。グループのリーダー格の子が二三四のソックスを目ざとく見つけ、
「二三四のTOROY、繕ってある!*」
と笑った。ほかの子も笑った、かどうかは覚えていない。

「ちょっとだけ穴があいたから…」
二三四は言い訳のようにつぶやいて、縫ったあとが見えないようにつま先を足裏方向に引っ張った。もちろん、少し動けば縫い目はもとの場所に現れるのだが。

 だいじなお年玉で買った、だいじなTOROYだったが、二三四が学校に履いていくことはなくなった。それでも、まだ履ける靴下を捨てられず家で履いた。足首のゴムが伸びるまで。

 二三四はこのできごとを恥じてはいない。一度手に入れたものを、ていねいに使い続けることはむしろ美徳だろう。自分の手で補修できたことは、むしろ誇らしい。

 しかし、あの同級生の声はずっと耳に残っているし、このできごとを両親には絶対言うまいと決めて、いまに至ってもいる。

*鹿児島弁「ふせをしちゃっ」。「ふせ「は「伏せ」で継ぎ当ての布を指し、転じて継ぎ当てや繕いものといった行為や、さらに大きなものの補修をいう場合もある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?