文字を持たなかった昭和 二百六十一(冬の肌荒れ)
昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)が過ごしたお正月を書いてきたが、このあたりで普段の暮しぶりに戻ろる。
東シナ海に面した薩摩半島の小さな町は、黒潮の恩恵はほとんど受けないうえに冬は曇りがちで、南国のはずなのに存外寒い日が多い。まして、昔づくりの家屋で暖房などほとんどない、せいぜい囲炉裏や火鉢程度では、家の中も屋外と同じくらい寒かった。
寒そうにしていると、姑のハルから
「うろうろしているから寒いんだ。てきぱき働けば体が暖まる」
と叱られた。明治前半生まれの舅や姑は靴下、というか足袋を日常的に履く習慣はなく、冬でも裸足のことが多かったから、嫁のミヨ子にもそれを求めた。
ほとんど素足で過ごすミヨ子の両の踵はガサガサで、たまの用事で靴下を履こうとするとひっかかった。ストッキングを靴下のような丈に短くした薄い靴下はとうてい履けなかった。すぐに伝線してしまうから。
手にもあかぎれができた。ハンドクリームなどめったに手に入らず、もし買えても塗ると滑ってしまい、農作業や家事がしにくかった。寒風にさらされて屋外の作業をするので耳はしもやけができ、赤く腫れて、暖まると痒かった。
そんな中、顔の肌は手入れなどすることもなかったのに、荒れることはあまりなかった。もともと肌がきれいなのか、親ゆずりだろうと両親に感謝した。
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