文字を持たなかった昭和 帰省余話8~お斎(とき)

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いてきた。

 このことろは、そのミヨ子さんに会うべく先ごろ帰省した折りのできごとなどを「帰省余話」として書いている。前の2回では、帰省の大事な目的だった法事――ミヨ子さんの夫・二夫(つぎお)さんの十三回忌――について書いた(6~十三回忌7~お数珠)。

 法要のあとはお斎である。昔だったらお寺や施主の家で精進料理を頂いたのだろうが、いまは適当な料理屋などで会食するケースが多いだろう。今回はお寺から車で10分ほどのお鮨屋さんで会食した。和明さん(兄)が手配し、席だけ予約して食事は各自好きなものをいただくスタイルだ。

 テーブルと椅子を置いた座敷に落ち着き、それぞれ好みの食事を注文する。お鮨屋さんなのでお鮨のセットが充実していて、ほぼ全員が握り鮨の入った定食をとったが、青魚のアレルギーがあって魚全般苦手なミヨ子さんだけは天ぷら定食を注文した。天ぷらはけっこうなボリュームだったが、ミヨ子さんはごはんも茶碗蒸しもきれに平らげていた。とても90歳過ぎとは思えない食欲で、みんな感嘆する。

 お斎と言っても身内だけの食事会なので、話題はお互いの近況や世間話ばかりだ。そんなことだろうと思ったので、二三四(わたし)は、小さな写真立てに入れた二夫さん(父)の写真を持参していた。正確に言うと、二夫さんたちの金婚記念の写真である。平成15(2003)年、町主催の社会福祉大会で金婚を迎えた夫婦にお祝いがあって記念に撮ってもらったとかで、二三四も一枚もらったのだ。

 写真の中で、二夫さんがやや緊張した面持ちなのに比べ、おそらくこの日のためにパーマをかけ薄く化粧したミヨ子さんは、肩の力が抜けたふうで微笑んでいて、70半ばと思えないほど美しい。

 金婚式だからと子供たちで相談してお祝いした記憶もなく、そもそも二三四は当時海外勤務だったが、いまにして思えば何かやってあげればよかったと思う。振り返れば、両親、とくにミヨ子さんの苦労に報いるようなことを十分やってきたとは言えない。

 そんな親不孝ぶりにかかわらず、「現世」にいる子供たちはおいしいご飯をいただいているのだが、写真の二夫さんはミヨ子さんに
「おいしいものがいただけて、お前が羨ましいよ*」
と言ってるように見えた。

 お父さん。お母さんに家のことを全部任せて、農協の視察旅行だ、会合だ、って、自分だけさんざん出かけておいしいものも食べたんだから、お母さんにも少しはおいしいものを食べさせてあげてね。

*鹿児島弁「よかもんがのさって、わや よかねぇ」。「のさる」は「ありつける」、「わや」は「わいは」を縮めた言い方。

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