文字を持たなかった昭和312 スイカ栽培(21)座布団

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 このところは昭和40年代初に始めたスイカ栽培について述べている。苗を植え受粉させ大きくしたい実以外は摘み取ってしまう、実が色よく均一に大きくなるよう向きを調整してやる(玉直し)

 玉直しの前か後か忘れたが、実がある程度大きくなったら四角いプラスチックの敷物を敷いてやっていた。白い薄手の発泡スチロールのようなもので、大きさは20cm四方くらい。4つの角から内側に向けて三角形に近い突起が伸びており、真中には通気用の穴が空いていたように思う。

 実が地面、というか畝に敷いたマルチの上に直接触れないことで果皮の傷などを防ぎ、均等に大きくなり、玉直しもしやすくてきれいなスイカができる、ということのようだった。ミヨ子たちはシートを「座布団」と呼んでいた。

 玉直しにはスキルが必要だが、座布団敷きはそれほどでもないということだろうか。二三四(わたし)たちも週末手伝いに行くと担当の畝を割り振られ、数十枚ずつ座布団を持たされて、順番に実の下に敷いていった。実のすぐ横に座布団を置いておき、両手で慎重に実を持ち上げ、そっと載せる。ま新しい座布団の上のスイカは堂々としていて、時代劇のお城の中で「よきにはからえ」と鎮座する殿様のようだった。

 あのシートはいつ頃まで使っていたのだろう。座布団は「生育用台座」と呼ぶようで、農業資材も製造する化学品メーカーのサイトの製品情報に載っているところ見ると、いまでも使われているようだ。用途や作物の大きさによって丸や四角のものがあり、四角のものは平面図で見ると二三四の記憶にあるものにかなり近い。ただしいまの製品は置いたときの安定性がよく透明で、太陽光を下からも通すため、反転作業(玉直し)は不要なのだという。

 ネット通販だと100枚2000円ちょっと、という価格が高いのか安いのかよくわからない。専業の農家なら大口のロットでもっと安く購入するのかもしれない。環境にも配慮されていて、リサイクル素材で作られている、ともある。メーカーによっては、まさにミヨ子たちが使っていたような外観のマットで、もっと安いものもあるようだ。

 ミヨ子や二夫(つぎお。父)たちが「最先端の農業経営」としてスイカの促成栽培に取り組んでいた頃、「座布団」はいくらだったのか。石油からできたあたらしくて割高な資材を次々と使うことは、一種の誇りでもあったはずだ。しかし、お金をかけて買った資材でも何回もは使えなかったうえに、処分には手こずった。エコロジーという概念がまだなかったことは、ある意味において幸せではあったが。

 スイカの成長に伴い潰れたり破れたりして、1年でほとんど使えなくなってしまった座布団の数々を思い出す。

《参考》
シンエツマット - 信越ファインテック株式会社 (shinfine.co.jp)
《「スイカ栽培」項の主な参考》
スイカの栽培方法・育て方のコツ | やまむファーム (ymmfarm.com)  

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