昭和な?感想――朝ドラ『らんまん』

 植物学者牧野富太郎先生をモデルにしたNHKの朝ドラ『らんまん』が2週目を終える。わたし自身牧野先生が好きで、都下西北部に住んでいた頃は、ときどき飲み物やお弁当を持って練馬区東大泉にある牧野記念庭園へ行き緑や季節の花を楽しんだ口なので、放映は楽しみにしていた。

 時代設定は世相も価値観も激変する幕末から明治初期。牧野先生の出身地高知でロケが行われ、主人公・万太郎の生家である造り酒屋や、町人の万太郎が特別に許されて通った郷校などを舞台に登場人物が活き活きと描かれており、楽しく視ている。

 幼年時代、少年時代それぞれの万太郎を子役二人がを演じ、いよいよ青年万太郎(神木隆之介)が登場したところで「続きは来週」となった。

 万太郎が通った郷校は明治の新学制により小学校に改められた。今日(4月14日)の放送では、藩校ですでに多くを学び初等教育など飽き足らない一方、植物となるといきなりエンジン全開になる万太郎のはちゃめちゃぶりはさておき。

 小学校には女子を含む庶民の子供も登校し、男女同じ教室で「イロハニホヘト」から勉強する様子が描かれていた。万太郎の姉・綾は、「おなごは酒蔵に入ったらいけん」などと女性であるがゆえの制限を受けることを、当たり前でやむを得ないと受け入れてきたが、「おなご」も学校で勉強できることに喜びいっぱいで、万太郎と同じ教室で「イロハ」から学び始めた。

 そう、明治の初等教育、とくに学制初期は、年齢の違う子供が同じ学年にいた。その様子は、綾だけでなく体格の違う子供たちが同じ教室にいる映像で表現されていたとは思う。だが、ちょっと不十分かな、と感じた。

 まず、男女も同じ教室だっただろうか。ごく小さな町や村の学校ではそうだったかもしれないが、一定数の児童がいる学校だったら、クラスを分けていたのではないかと思う。

 そもそも――という表現は上から目線の押し付けだ、と齋藤孝先生は『大人の言葉力』に書いていたが――、初等教育であっても女の子を学校へやれる家庭はどのくらいの割合だったのだろう。子供(きょうだい)が多かった時代、6、7歳にもなれば子守も家の手伝いもしただろう。庶民の家庭で、男の子(とくに嫡男)はともかく、女の子にも教育を授けたいと考える先進的な考えを持ち、学校にやれる経済力持った親がどのくらいいただろう。

 嫡男と書いたが、男の子であっても跡継ぎではない子供は、家業の労働力の一部になるか、早々に奉公に出されることも多かったはずだ。明治になり学制が敷かれたとたんに、すべての子供が学校に通うようになったと理解されるような映像とナレーションはどうか、とも思う。だからと言って「すべての子供が学校に通っていたわけではありません」と断るのもまた、興覚めだが。

 様々な苦労や困難はあるにせよ、最終的に牧野先生は植物学の大家に昇りつめるのだから、ドラマとしては「成功が約束された一生」をなぞる形になる。

 大店の造り酒屋の後継ぎである万太郎は、家業には全く興味を示さず、自分の興味の赴くままに行動する。郷校にすらない本を、何十冊も大阪から取り寄せてもらうほどの甘やかされぶりだが、どんなにわがままで、どんな失敗をしても、視聴者は温かく見守っていればいい。「なりたい自分を目指せばい」「いやなことを無理にしなくていい」という主張も、いまの教育には合うだろう。なんなら「無理に学校に行かなくてもいい」のだ。

 しかし、当時の多くの子供は、学ぶ機会がきわめて限られ、学びたくても学べないか、学ぼうと考える環境にすらなかった。明治前半生まれのわたしの祖父はほぼ文盲だった。小さな農村の農家の五男坊で、学校には行かず(行けず)ひたすら家の手伝いをし、長じてからは自力で田畑や山林などを買い広げた。祖母は小学校を途中で辞めて奉公に出た。そんな例は日本中掃いて捨てるほどあったはずだ。

 万太郎の生家である造り酒屋は苗字帯刀を許された大店という設定で、蔵の造りや酒造りの職人の数、帳場の様子を見るにかなりの規模だ。町には豊かな自然もあるが、酒屋がある通りはにぎやかだ。そんな環境なら、女子でも一定数は学校に通ったかもしれない。

 ただ、明治生まれの祖父母を持ち、生活の中で明治を感じることがたびたびあった世代としては、日本全体ではそうもいかなかったのではないか、ということを言いたかった。

 これは昭和な感想というより、明治な感想かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?