最近のミヨ子さん(デイサービスの回数)

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん
(母)の来し方
を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 先月の母の日で母とのやりとりを書いたばかりだが、同居してくれている義姉から最近伝えられた母の状況について記しておきたい。

 なんでも記憶力の低下が著しいらしい。昼寝から目覚めたあとデイサービスの支度をしようとするのは以前からあったようだが、最近はそれが頻繁になっている。

 これと言って趣味もない母は、手持無沙汰になるとよくベッドに横になる。そしてそのままうとうとしてしまう。起きたときは「朝」と認識するらしい、という話も前々から聞いてはいた。最初それを義姉から聞いた頃は「寝ぼけてるのかね」などと笑い合っていたのだが、それが徐々に常態化し、深刻になっているようだ。

 うちにいるとつい「ごろり」としてしまうので、いっそのこと、ということだろう、週3回だったデイサービスを4回に増やしたとか。デイサービスに行く日は昼寝をしないし――施設でお昼寝はするはずだが――一日活動したら夜は比較的ぐっすり眠れるだろうから、本人にも同居する家族にもちょうどいいのかもしれないけど。

 義姉のSNSのメッセージに
「デイサービスを増やしたって、お兄さんから聞いてない?」
とあった。

 そう、ほんの1年ぐらい前まで。母が週2回、月曜日と木曜日デイサービスに行っていた頃は、実家の跡地で家庭菜園をやっている兄が、週末、主に土曜日「母ちゃんも連れてきた」と、畑の作物の写真といっしょに母の姿をスマホから送ってきてくれていた。

 その後土曜日もデイサービスへ行くようになったこと自体知らず、土曜日は家にいるつもりで帰省のスケジュールを組んだのは今年の2月だが、事前に姪と食事の約束をする際に「土曜日ばあちゃんはデイだよ」と教えられて、ちょっと、というよりかなり驚いた。それとなく義姉に聞くと「介護度が上がって、利用できる回数が増えたから」と教えられた。

 その少し前から、兄からの「母ちゃんと畑に行った」というメッセージが途絶えていたが、寒いから外出を控えさせているのだろうと思い込んでいた。

 土曜日も終日デイサービスに行くことがわかってからは、兄が母を畑に連れていく機会は滅多になくなっているのだろうと理解してはいたが。

 週3回が週4回。この変化を、どう受け止めたらいいのだろう。

 もちろん、母自身が機嫌よく過ごしてくれることがいちばんだ。目が覚めると――それが昼寝からであっても――「出かける支度をしなくちゃ」と思うほどデイサービスに行くのが楽しみならば、週4回が5回になっても、いいことかもしれない。

 かれこれ10年近く前だろうか、父が亡くなったあと一人暮ししていた家から兄たちが呼び寄せて同居が始まり、知らない土地でのデイサービス通いも始まった頃。知り合いが誰もいない環境を心配した娘(わたし)は、帰省の折り、事前に施設と調整してわざわざ母がサービスを受ける日に見学させてもらったことがある。施設での一日は頭や体を使うメニューに、昼食、入浴と盛りだくさんで、ミヨ子さんは活発に参加していて、安心したものだった。いまは、スタッフや他の利用者とも顔なじみになり、もう古株に近いかもしれない。

 それでも、自宅とは違う環境で、日常生活とは言えない活動に取り組むことは、本人にとってどうなのだろう、と思ってしまう。(もちろん施設側では十分な配慮をしてくれていることは疑いないにしても。)

 つまるところ、「もどかしい」。

 ミヨ子さんの気持ちを聞けない。兄や義姉から、ちょっとした変化を聞けない。こちらからのアクションが限られる―――。

 一日3食のみならず、病院への付き添い、体調管理も自然にやってくれている義姉には、感謝してもしきれない。
「何かあったら連絡するから」
とも言ってくれる。それでも「何か」の基準は、様子を毎日見続けている人と、めったに会えず、前回会ったときのイメージの上でしか想像できない側とは違うだろう。「何か」が最期のタイミングだったら? 考えただけでドキドキする。

 義姉によれば、最近は脚も弱くなってきたという。長年の農作業の負荷もあり、もともと膝の痛みをいつも訴えていた。それでも数年前までは、脚力維持のために近所の散歩を心がけていたのが、敷地を出たあたりで転んだという理由で、めったに外に出なくなり、室内での歩行一辺倒になっていた。それすら危うくなるとしたら――。

 ゆっくりと、でも確実に、ミヨ子さんの老いは深まっている。わたしも、腹を括っておかねばならないのかもしれない。

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