文字を持たなかった昭和325 スイカ栽培(34)資材の後片付け

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは、昭和40年代初に始めたスイカ栽培について30回以上かけて述べてきたが、そろそろ終わりだ。苗を植えてからひと月半ほども世話を焼いて収穫し農協に出荷する。露地もののスイカが出回るまでにはほぼ出荷を終え、夏休みを迎える頃にはスイカ畑のトンネルの解体が始まった。

 解体した大量の資材のうち、使えるものは来シーズンのために保管するが、使えないものは処分する。

 支柱にした大量の長い竹は保管に場所を取る。竹なら屋敷周りなどに豊富に生えていていつでも調達できし、何より数か月も使った竹はすっかり乾燥していて次の組み立ての時に撓ませることもできないので、風呂の薪代わりに焚いてしまうことが多かった。

 ビニールシートは、できるだけ再利用した。ワンシーズン程度では破れなかったし、何より高価だったからだ。それでもトンネルの両端、杭に巻きつけた部分は切り取ってしまった。開閉のとき力を入れ過ぎたりしてうっかり破ってしまった箇所には、「つぎあて」をした。ビニールシート用の接着剤を使って、小さく切った別のシートを貼り付けるのだ。

 シートを押えたりするのに使ったビニール紐も、使える限り繰り返し使った。長さ別に集めてくるくると巻いて保管しておいたが、引っ張ったり、太陽光を受けたりして徐々に、あるいは急激に劣化してしまい、いずれは使えなくなった。

 いちばん使えなくなるのは「マルチ」だ。スイカの苗を植えるため穴をあけなければならないので、無傷ではすまない。それでもほかの畑で野菜を植えたりするときに使ったりもしたが、使う量がまったく違うので、再利用にも限界があった。

 そうして、大量のマルチ、劣化してしまったビニールシートやビニール紐などが、納屋や納屋の周辺にたまっていった。


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