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ひとやすみ「台湾パイナップル」前編

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 直近では、わが家のポンカン栽培について(1)から(10)まで述べ、ポンカンのルーツ(11)(12)などを付け加えた。関連して、鹿児島に伝わったポンカンの元もとの産地である台湾のポンカンについても書いた(13)

 台湾のフルーツに言及したなら、いまが旬である台湾パイナップルに触れねばなるまい(いえ、書きたいだけです)。

 台湾の代表的フルーツとしてマンゴーと肩を並べるパイナップルは、マンゴーより手頃で、台湾での栽培の歴史も古い分(たしか)、人々に親しまれている印象を受ける。台湾パイナップルは基本的に畑で完熟させてから出荷することと、南国とは言え常夏というわけではないため、市場に出回る時期は限られる。それがちょうど春先からいまごろだ。

 その、台湾パイナップルの輸出はこれからという時期の、2年前(2021年)の2月末、輸入を全面的に止めた国があった。台湾パイナップルの最大の輸出先である、台湾のお隣の――日本のお隣でもある――大陸である。この経緯や影響については、解説も含め当時かなり報道されたので、ここでは述べない。

 台湾のパイナップルを少しでも救いたい。

 という動機から、日本の台湾ファンが自主的に台湾パイナップル購入の動きに出た。流通業を中心に支援する企業もあった。これにより、以前はほとんど輸入されていなかった台湾パイナップルが日本の市場に出回るようになった。台湾系の貿易会社などが通販などの形で宅配を受け付けるのと並行して、西友などの流通企業が店内販売を開始した。わたしはその両方で、せっせとパイナップルを買った。

 翌2022年は、スーパーなどで台湾パイナップルを見かける機会が増えた。お値段は少しだけ上がった。わたしはまたしても、通販と店舗の両方でせっせとパイナップルを買い、せっせと食べた。

 そして今年もせっせと台湾パイナップルを買っている。台湾系の貿易会社には3年連続で注文しているが、自分の分だけでなく、親戚や友人のお宅へも送り続けている(自前です)。スーパーや八百屋で見かけたら、それも買う。

 おかげで春先は糖分摂取量が増えるのだが、もはや年中行事。コロナ禍で往来が不自由になったぶんを充てるつもりで、じみ――に台湾応援を続けている。

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