文字を持たなかった昭和291 ミカンからポンカンへ(13)おまけ、台湾のポンカン

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 昭和40年代初め頃、ミカンの価格が下がったことを受けわが家がポンカン栽培に切り替えたこと(1)から、やがてポンカンも作らなくなることまでを順に述べ、ポンカンのルーツ(11)(12)など思いついたことも付け加えた。

 おまけとして、鹿児島に伝わったポンカンの産地である、台湾のポンカンのことを。

 (11)(12)でやたらと台湾のことを書いたが、わたしは台湾に住んでいたことがある――と以前のnoteに書いたような、まだのような。

 台湾はフルーツ王国。日本ではマンゴーやパイナップルの産地というイメージが強そうだが、台湾のフルーツの種類はとてつもなく多い。日本では穫れない亜熱帯のものももちろんあるが、日本でもおなじみのフルーツもある。当然ポンカンもそのひとつ。

 台湾のポンカンは、台湾島の南部に住んでいたわたしの経験では、夏の終わりか秋の初めくらいには出回り始める。ただ、この季節のポンカンは皮がまだ青い。実もそれほど甘くない。

 しかしそれがとてもおいしいのだ。フレッシュなのは当然として、 なんというか、初々しい。硬めの皮を剥くと爽やかな香りが立ち上る。まだ薄いオレンジ色の果実は、文字通り未熟な甘さで、その控えめさが心をくすぐる。甘いフルーツよりたくさん食べられるところもいい。台湾で食べたフルーツの中でいちばん好き、と言ってもいいくらいだ。

 日本だと、果皮の青いミカンを見かけることはあっても、ポンカンのそれはないだろう。果皮が青いものは「まだとても食べられない」のだろうか。それは品種の違いなのか、気候の差ゆえか。

 ポンカン栽培の話の最後は、台湾の青いポンカンについて書きたいとずっと思っていた。コロナ禍で、海外はおろか国内さえも旅は控えねばならなかった。が、それも一区切りを迎えつつある。台湾の青いポンカンを、近いうちに食べられますように。


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