文字を持たなかった昭和 二百十八(ミカンの収穫、その二)

 ミカンの収穫の続きである。

 摘んだミカンで肩から掛けた袋がいっぱいになると、ミヨ子(母)たちは畑のあちこちに前もって置いてあった「キャリ」と呼ぶプラスチック製の丈夫なカゴにあけた〈131〉。そのあとは引き続きミカンを摘む。いっぱいになったらあける。その繰り返しである。

 ミカンでいっぱいになったカゴは、夫の二夫(つぎお)が抱えて、農道の脇に停めた耕運機に運んだ。カゴは積み重ねられるような作りなので、重ねられるだけ重ねて家へ運ぶのだ。

 運んだミカンは、農協の「選果場」へカゴごと運ばれた。二三四(わたし)は見たことがないが、まず糖度を検査して等級を決め、ベルトコンベアーのような機械に乗せて、大きさをふるい分けるらしかった。あとで考えれば、一度くらい選果場を見学しておけばよかった。

 「その一」に「近所の農家すべてがミカン山を持っているわけでもなかった」と書いたが、地域全体ではミカンを栽培する農家は相当数あった。農家が作るものへの要求は、「お腹いっぱい食べられる」ことから、「よりおいしいもの、よりしゃれた食生活」に変わりつつあった。だからこそ、付加価値の高い果物へと、「営農指導」も切り替わり、二夫たちもミカン山を開墾したわけである。

 そのためミカン栽培を始める農家は一気に増えた。季節になると選果場は大忙しとなり、出荷されるミカンも大量だった。

 当然ながら、ミカンの価格はだんだん下がっていった。その先のことについては、改めて書きたい。

〈131〉「キャリ」はおそらく「運ぶ」という意味の英語carry(キャリー)だろう。カゴの商品名が「キャリー」だったのかもしれない。他の農業用品同様、農協で一律に購入するもので、どの農家も同じ形で同じ黄色のキャリをいくつも持っていた。選果場などで間違えてしまわないよう、キャリには油性ペンで持ち主の名前が書いてあった。ミヨ子はよく「農協で買わされた(安くない)ものだら、盗られたり亡くなったりしたら困る」と言っていた。

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