もう一度やすみ 敬老の日2023

 ここ(note)では、 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴っているが、ときどき母の近況についても書いている。

 敬老の日、母には前もって贈り物をし、今日はビデオ通話を試みた。

 以前は親を老人扱いするのは気が引けて、敬老の日のお祝いはしていなかった。父の日、母の日、そしてそれぞれの誕生日と結婚記念日が重なる3月にちょっとしたお祝いとカードを贈る、という習慣が定着した。12年前に父が他界し、母が数年の独り暮らしを経て、兄家族との同居が始まってしばらくもそれは続いていた。敬老の日は孫たちがお祝いしてくれればいい、と。

 しかし、だんだん母との意思疎通が難しくなってきた。会話はわかりやすいテーマで数回の往復、そこからストーリーが展開することは少なくなった。「この前話した〇〇」といったことも、母が思い出せないから話題にしない。数年前から、自分からは電話をかけてくれなくなった(たぶん操作のしかたがわからないのだ)。

 それでこちらから何かと理由をつけて、送り物をしたり会話のきっかけを作ったりするようになり、いまに至る。敬老の日も、そのきっかけのひとつだ。

 贈り物といっても、使うもの、着るものは諦めた。
「せっかく送ってくれても、『もったいないから』としまいこんで使わない(着ない)よー」
と兄も義姉も言う。そして一度しまいこんだら、それがなぜそこにあるのかわからなくなるだろうことは、わたしもだいたい想像がつく。

 だからここ何回かの敬老の日は、義姉のアドバイスどおり食べ物を送っている。例年は母の好物のチョコレートを送ってきたが、今年は少し奮発して有名どころの和菓子にした。昨今は9月中旬でも暑い日が多くチョコレートは溶ける心配があるせいもあるが、いつまでこんな形で送り物ができるだろう、という心配もあるからだ。もしもこの先施設に入ったら、自由にものを送ることはできないし、食べ物の摂取も制限されるだろう。

 兄のスマホを使わせてもらってのビデオ通話ごしの母は機嫌がよかった。「敬老の日だね、おめでとう」と言うと
「そうらしいねぇ」
「贈り物届いた? お菓子を送ったけど」とわたし。
「あー、届いたよ。開けて、食べました」と母。
「おいしかった? 何食べたの?」
横から兄が
「これ、これ食べただろ」と菓子折りの中を指さす。
「そうそう、小さなお菓子を食べたよ」
どうやらきんとん風のお菓子を食べたようだ。

 よく考えたら、和菓子が好きなのは父のほうだった。和菓子というかあん物を好んだ。甘いもの全般が好きな母はなんでも喜ぶが、和菓子より味がはっきりした洋菓子、それもチョコレートがいちばん好きなのだ。でも喜んでくれてるならそれでいい。

 お菓子について話している途中で、なんだか二人ともおかしくなった。どちらともなく笑い出し、大笑いになる。
「なんで笑ってるんだっけ?」と母。
「そうだね、おかしいね。でもいいじゃん」とわたし。
兄が割って入り、近づきつつあるわたしの帰省について母に促す。
‘二三四が帰ってくるんだよ」
「そうだよ、もうすぐだから、それまで元気にしていてね」

 今日は本当に楽しい会話だった。とりたてて中身はなかったけど、それでいいのだ。いっしょに笑って、なんだか楽しかった、と思ってもらえたら。

 お母さん、長生きしてね。

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