文字を持たなかった昭和 二百五十四(元日)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たちのお正月について書こう。

 元旦。まだ暗いうちに、夫の二夫(つぎお)は氏神様である八幡宮へ初詣に行き、その足で家の近くにあるお墓にも参った。

 その間ミヨ子は朝の支度をする。一年の最初に口に入れるのは「歯固め」と決まっていた。歯固めとは丸餅のことだ。丸餅を焼いて、お茶といっしょにいただく。正月に長寿を願って硬いものを、多くは家族そろって食べる「歯固め」と称する行事は日本各地に残っているようで、ミヨ子たちの集落を含む地域(あるいは鹿児島の他の地域でも)の風習も同じような起源だったのだろう。

 歯固めが朝食だったのか、起き抜けにいただいたのか、二三四(わたし)の記憶は曖昧だが、朝食には温かい雑煮も食べたような気もする。

 元旦は雑煮まで。10時になると集落の公民館で新年会が行われるのだ。小学校以上の子供たち、青年団の団員、男衆は必ず参加し、「分館長」さんの挨拶を聞いたあと、新年の挨拶を交わす。男衆は、お酒代わりに用意された焼酎を酌み交わすこともあった。人によってはその足で近隣へ年賀に向かった。

 正月料理を本格的にいただくのは昼からだが、元日から来客があることもある。来客に酒、というか焼酎はつきもので、正月でもミヨ子はゆっくり休めなかった。

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