つぶやき 夢と現――認知機能低下考察

 昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎さん(祖父)の来し方に移ったあと、施設入所後のミヨ子さんの様子なども随時掲載している。

 ここ数年、ミヨ子さんの認知機能がだんだんと低下していく様子を目の当たりにして――と言っても、年1、2回の帰省と、ほぼ定期的だったビデオ通話などを通じてだが――、認知症に関する書籍やインターネット上の記事などを積極的に読み、認知機能(の低下)とはどういうことか、自分なりの理解を深めてきた(つもりだ)。

 話が飛ぶようだが、つい先日リアルと言えばリアルな、しかし細部はやはりちぐはぐな夢を見た。

 場面はわたしが昔住んでいた北京。あらすじは知り合いの駐在員夫妻のお宅に招かれて、顔見知りの日本人とともにごちそうになったあと、三々五々帰るというもの。

 駐在員夫妻が住んでいるアパートメント、集まった人々の属性、帰り道での会話など、ひとつひとつは必ずしもリアルではない。しかし、その設定というか背景は、当時北京に住んでいた人にしかわからないようなものが各所にあり、まちがいなくわたし自身の記憶(とその基になる体験)に基づくものだった。

 夢から覚めた直後、そしてその後も、あの夢は現実(の記憶)とどう違うのだろう、と考えている。

 覚醒後の場所が今住んでいる日本の自宅であることはもちろんわかっていて、だから「夢だった」とまず明確に理解できているし、夢の中の人物や場所、できごとも現時点での現実とリンクしていないこともわかっている。

 だがもし、いま自分がいる場所、いまの自分を取り巻く人間関係などへの「認知」が正確で詳しくなかったとすれば。まして、施設や病院のような特徴のない場所に寝起きし、自分との関係性が特定できないような人(看護や介護にあたるスタッフなど)しか周りにいないとすれば。

 さっき見た夢と現実とがごっちゃになってもおかしくないのではないか、と思ったのだ。

 それは、「最近のミヨ子さん 介護施設入所後、その八」で述べたできごとと考え合わせてのことである。

 施設入所後にかかった感染症のため病院に搬送されたミヨ子さんは、面会に来た自分の息子に「佐賀から来られたの?」と尋ねた。佐賀はミヨ子さんが若い頃に働いていた場所である。その記憶と、あるいは夢に現れた佐賀と、覚醒中の現実に区別がつかない状態なのではないか。区別がつかない、というか、ひとつひとつのパーツが、「記憶」「夢」「現実」(場合によっては「想像」「未来」)という境目を超えて、不規則に繋がりあっている状態ではないだろうか――と思ったのだ。

 わたしたち――健常者と呼ばれ、自分でもそう思っている人々――は、夢と現実、過去と現在と未来、記憶と現状認識と想像(妄想)あるいは希望を、明確に区別していると思い込んでいる。だが、ほんとうにそうなのだろうか。その根拠は何だろう?

 わたしたちは、認知機能が低下した人たちを「あちら側の世界の人たち」と思っている。でもそうなのだろうか。

 わたしはいま、自分の認知機能がどういう状態か、この先どう変わっていくのか、それは「異常なこと」なのか、そうではないのかにとても興味がある。そこを少しでも知ることは、ミヨ子さん――のような認知機能が低下したと言われている人たち――に近づき理解することでもある、のではなかろうか。

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