文字を持たなかった昭和 百十七(青みかん)
ハウスみかんが八百屋さんやスーパーの果物売場に並ぶ季節になった。生産者の方には申し訳ないが、ハウス栽培で石油を焚いて温度調整したであろうみかんを、高いお金を出してまでして食べたい、とわたしは思わない。農産品を工業製品と同じように扱われるのも納得しがたい。
この季節のみかんの思い出と言えば青みかんだ。それもまだ甘みが乗っていないもの。
昭和29年、地元の農家の一人息子に嫁いだミヨ子(のちのわたしの母)は、「三十八(開墾1)」に書いたとおり、嫁ぎ先の農業経営拡大のためみかん山の開墾に加わった。数年を経てみかんが実をつけるようになるが、結実したままでいいわけではない。1本の枝の中の栄養分は限られるので、日当たりがよく大きく育つような実を選んで栄養を集中させるため、それ以外の実は小さいうちに摘んでしまう「摘果」という作業が必要だ。
このため夏になると、みかん専用のハサミを持って生育に適さない実を摘み取る作業に、ミヨ子たちは追われた。
摘み取った実は捨てない。よく使ったのは、冷やそうめんの薬味としてだった。皮の表面の緑色のところだけを軽くすり下ろして食卓に出した。爽やかな香りでふつうのそうめんが一新し、家族の顔がほころんだ。
まだ硬い果実のほうはジュースにした。横半分に切ったものを手で搾って果汁を取るのだ。もっとも果汁は全然甘みがなく酸っぱいだけなので、搾った果汁に砂糖を――それもかなりの量――加えよく溶かしてから、水で割るのだ。冷蔵庫が普及する前でも、このジュースは目新しくて近隣でも家庭内でも評判だった。冷蔵庫が普及してからは、割る水を冷やしておいたり氷を入れたりすることでおいしさがアップした。
子供のわたしは、薬味のほうは苦味があってあまりおいしいと思えなかったが、「みかんジュース」は喜んで飲んだ。いま考えれば「青みかん風味の砂糖水」でしかなかったけれど、当時出回っていた水に溶かして飲む粉末ジュースより健康的なのは、子供にもわかった。
やがて、夏になると繰り返し登場する「みかんジュース」に子供たちがいささか飽き始め、それに合わせるように、市販のジュースが粉末タイプから瓶入りの「ファンタ」に変わり、テレビCMで「王冠を集めると〇〇がもらえる!」と宣伝されるようになった。みかんの「風味」しかない手製のジュースはいつの間にか食卓から姿を消した。
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