文字を持たなかった昭和 百十八(そうめん)


 夏に摘果する青みかんの皮を、母ミヨ子がそうめんの薬味にしてくれたことを書いた(百十七(青みかん))。

 夏の昼ごはん、ミヨ子はしばしばそうめんをゆでた。市販のめんつゆなどまだない昭和30~40年代、つゆを作る手間はかかったが、おかずなし、ゆでるだけですむそうめんは、多忙な農家の主婦にとってはありがたかった。

 そもそもふだんから食事は質素であり、そうめんに添える具というようなものはなくつゆと薬味だけでも、文句をいう家族はいなかった。薬味と言っても、庭に自生する青じそぐらいだったところへ、主婦仲間に教えてもらった新しい薬味が加わった。それが青みかんの皮をすり下ろしたものだった。

 つゆは、干しシイタケを戻しておいた戻し汁とカツオ節でとり、甘口の鹿児島の醤油で濃いめに味をつけた。

 そうめんは、舅の吉太郎が健在で下の子の二三四(わたし)がお箸を持てるようになってからは、家族6人分のそうめんをゆでた。一人2~3束、全部で15束くらいだろうか。大きな鍋に湯を沸かし、ゆで上がったそうめんは冷たい井戸水を使って締めた。冷蔵庫を購入してからは、冷蔵庫で冷やした水や作った氷を使うことで、そうめんがちょっと上等になった気がした。

 ただ、夫の二夫(つぎお。わたしの父)は、じつはあまりそうめんが好きではなかった。ずいぶんあとになってから、そうめんを食べるときポツリと
「虫を食べてる気がする」
と言った。その気持ちはわからないでもない。わたしも、そうめんはあまり得意ではない。それもあってそうめんを使った料理はめったに作らない。

 とは言え、ミヨ子が作ってくれたつゆの味や、つゆの中に漂っている厚めのカツオ節を齧るときのおいしさははっきり覚えている。そうめんをゆでるときに、ミヨ子を手伝って差し水をし、沸いた水面がふーーっと静まる瞬間のことも。

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