文字を持たなかった昭和 百五十五(おやつにサツマイモ)

 概ね昭和40年代から50年代前半。母ミヨ子が用意したおやつについて書いてきた(「百五十三(手作りのおやつ)」)。

 「百五十四(おやつにふかしイモ)」ではふかしたサツマイモについて述べた。サツマイモはもちろん蒸かすだけではなかったが、蒸かすのがいちばん手軽だったのだ。

 時間に余裕があるときは、衣をつけて天ぷらにすることもあった。もっとも天ぷらはおかずにすることも多かった。

 下の子の二三四が小学校の中学年にもなり料理を手伝えるようになる頃には、ミヨ子もテレビの料理番組などで「大学いも」というものも覚えた。ただ、乱切りのサツマイモを揚げるのは時間がかかるし、砂糖を煮詰めた飴も用意しなければならない。どちらも温度が高くて小さい二三四に手伝わせるのは危ないので、あまり気が進まなかった。手間がかかるという理由が大きかったかもしれない。

 それよりは、拍子木に切ったサツマイモを油で揚げて砂糖をふりかけ、かりんとうのようにして食べるほうが簡単だった。

 二三四は就職して東京に出てから、それが「芋ケンピ」と呼ばれる駄菓子として堂々と売られているのを見て、「へーー、あのカライモが!」と驚いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?