つぶやき(秋の収穫期に)

 十五夜には穫れたばかりのイモなどを供えるように、秋は収穫の季節。昭和40~50年代、農家の主婦である母ミヨ子たちにとっても、もちろん繁忙期だった。

 いちばん重要な収穫作業である稲刈りはもちろん、その他の作物――例えばサツマイモやサトイモ、ミヨ子が嫁いでから苦労して開墾したミカン山のミカンなども、ちょうど収穫の季節を迎えていた。

 が、具体的な収穫風景を書こうとして、稲刈り以外はあまり鮮明に思い起こせないことに気付いた。労働力の足しになれると言えば小学校へ上がって以降だから、手伝いは土曜日の午後と日曜日ぐらいで、ふだんの農作業を細かく見ていたわけではなかったのだ。

 言い方を変えれば、子供たちが知らないところで両親や祖父母が苦労してくれていたおかげで、ごはんを食べられ、学校にも行けた。ほしいものを何でも買ってもらえたわけではなかったが、何かがなくて不自由した記憶もない。比較的裕福な家の子が、あきらかに高価な、あるいは流行りと思われるものを持っていたことはあっても、言う言わないの前に、ほしいと思う動機が乏しかった。

 自分の家よりもっと簡素で質素な暮しぶりの家もたくさんあることは、親に連れられて近所づきあいや親戚づきあいする中で、だんだんと、そして十分に理解していったし、自分の家が経済的にどのくらいのレベルにあるかということも。

 だから、子供たちは親に何かをねだる*ことは滅多になかった。そもそも親をはじめとする目上の人に対して、何かを要求するなどあり得なかった。少なくとも子供時代の二三四(わたし)にとっては。

 親と子、あるいは家族の中でのそういう在り方は、いまの親子(家族)関係の中では不健全なのかもしれない。子供は子供らしく、子供にも自分の考えと主張と欲求があり、まわりの大人はそれを対等の立場で尊重してあげるべき、というのが日本の、そしておそらく世界の主流の考え方になりつつある。

 しかし、現実の情況(環境)を知ること、そこで何はできそうで何はできそうでないか、できるようになるにはどうしたらいいかを、周りの大人から学ぶことは重要だろう。

 横のつながりだけが際限なく広がる(ように映る)現代社会にあって、縦の関係にある意味束縛されつつも、そこからなにがしかを学んできた身としては、その先――過去も未来も――の重要性も含めて、縦の関係についてもっと考えてみてもいいのでは、と思ってしまう。

*鹿児島弁:もがる。正当な理由なくやみくもに欲しがるニュアンス。

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