最近のミヨ子さん(94歳の誕生日)後編

前編より続く)

 ミヨ子さんに近況を聞くと「何日か前に転んだ」という。転んだ話題は折に触れて出てくるもので、それは何年も前に散歩の途中で転んで溝に落ちたできごとなのだが、初めて聞くふりをして
「あらー。ケガしなかった?」と訊くと
「それは何年も前の話。今度のは家の中」と、ミヨ子さん(母)と同居する長男(兄)が脇から声だけ参加する。スピーカー状態だから会話が筒抜けなのだ。

 またミヨ子さんと顔を見合わせる。兄がいると何かとやりづらい、と思っているのは共通していて、画面越しに二人で「シーっ」のポーズをとって笑い合った。笑っているうちになんだか楽しくなって、二人とも大笑い。よかった、ミヨ子さんが元気で。

 この日のミヨ子さんはわりあいしっかりしていて――と言っても、会話はあちこちに飛ぶのだが――定年後も再雇用で働いているうちの家人の近況についても訊かれた。
「まだ仕事をしてるの?*」
「そうだよ、でもそろそろ引退したいと言ってる。元気なうちに旅行したり自分の好きなことをしたりしたいんだって」
「そうね、旅行もいいわね。あんたも連れて行ってもらいなさい」
「どうかしらね。『お前は留守番してろ』って言われるかも」
家人はそんな言い方をする人でないことはミヨ子さんもわかっていて、わたしの冗談に笑っている。ミヨ子さんが笑うとわたしも笑う。

 なんだかんだで30分近くもしゃべっただろうか。思ったよりしっかり会話が続いて、ほっとする。
「元気でいてね。また話そうね」。

 そう言って通話を終えたあと、こんなことをあと何回できるだろうと、いつも思う。急に体調が変わって――ということもあり得るだろう。会話が可能でも、施設に入ってしまったら顔を見ながらの通話なんてできないだろう。同居している兄家族、とくにお嫁さん(義姉)の配慮にはほんとうに頭が下がる。

 それにしても95歳。100歳以上の人が10万人に近づきつつある現代ニッポンにおいて、200万人以上もいる90代は珍しくないのだろうが、自力歩行できてご飯も自分で食べられて、ひととおりの会話もできる。あと30年ぐらいあと、そこまで自分を維持できるかわたしはまったく自信がない。

 ミヨ子さんの長寿は、これまでの苦労に対して神様が報いてくれたものだと信じている。先に亡くなった夫(父)や、両親、舅姑、早世したきょうだいたちの分まで。
「元気でいてね。また話そうね」 

*この日の鹿児島弁は「まだ 仕事て(しごて) 行っきゃっとや」(まだ 仕事に 行かれてるの?)。ミヨ子さんは昔の鹿児島弁らしく、家の中心になる男性などには敬語を使う。夫(父)に対してはもちろん夫のことを子供に話すときも、常に敬語だった。もっともミヨ子さんに限らず、当時の地域の女性たち(おそらく鹿児島の多くの女性)も同様だったはずだ。

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