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母が辛かった。

今年の年始に自分の母親に対して我慢の限界を迎え、交流をほぼ断絶してしまった。
私にとっては結構思い切った決断、というかほぼ爆発からのなし崩し的に断交!みたいな流れだったので、罪悪感めいたものもあり、最近までダメージが尾を引いていた。


母親と娘が、大人になってから仲が悪くなることは、決して珍しくない。でも、やっぱり自分を産み育てた母親に対して「大嫌い」という感情を表明し、コミュニケーションを拒否するのは、心のどこかが痛んでしまう。
そして、だからこそ、モヤモヤを抱えながらも我慢して付き合っているひとも多いんだと思う。

私の母親は、配偶者に大切にされておらず、その欲求不満を娘と孫娘との交流で解消していた人だ。
私もシングルで子育てしているので、手を借りないわけにはいかないし、手助けしてもらっているから、拒否するわけにはいかないとずっと思っていた。


でも、限界だった。

お母さんかわいそう、よりも、お母さんもう無理、が勝った。

決別したての頃は、何が嫌だったのか整理できておらず、考えると涙が出てきたりもしたけれど、なんとなく一区切りついた感じがするので、とりあえず言語化してお焚き上げじゃ!!!!


母親の何が嫌だったかというと、それは世にいう「過干渉」だと思う。

昔から、母親の理想から外れたことをしようとすると、猛反対されてきた。
中高生の頃は、母親が気に入らない私の友達にたいして「あんな子と付き合うのやめなさい」から始まり、アルバイト選びも「そんな仕事やめなさい」、就職の時も、あんな会社があるぞ、こんな会社があるぞ、と母親が色々情報提供してきた(求めてない)。

結局、母親の勧めっぽい感じで就職して、4ヶ月で辞めて、また母親が納得しそうな職についた。

中高生の頃は、反抗期だったしパワーもあったので聞く耳もたずに我が道を突き進んでいたが、いつまで経っても母親のテンプレ行動パターンは変わらない。

付き合う男の子だって、「あの子はやめておきなさい」みたいなことを言われまくった。
ちなみに、離婚した時も「だからやめておけって言ったのに」みたいなことを言われた。

私は別に良い子ではなかったけど、結局、母親のギリギリ認める範囲内でしか冒険ができなかった。

大人になっても、事あるごとに金銭的な援助を惜しまず、「私がいないとダメでしょ」みたいな雰囲気をガンガン作ってきた。
派手な服を着たくても、「そんなの変よ」と言われ、外食する時に平服で行くと、「ちゃんとした格好をしろ」と言われ、言葉遣いや書字の乱れまで、かなり大きくなってからも指摘され続けた。

ずーーーーっとそんな調子だったから、そういうのが普通だと思って気が付かなかったけれど、この前家を買って、「ああ、うちの母親は過干渉だ」ということにようやく気がついた。

「家を買おうと思う」と告げた時点で大反対。負の遺産になるに決まってる、とか維持費ばかりかかって無駄になる、とか。
でも、それを言われた時点では、「なんとか母親を説得しなくちゃ!」という気持ちだった。そもそも、娘が家を買うのに反対する意味がわからない。関係ないじゃん。

説得しようと思って、母親をその家に連れて行ったら、ものすごくお気に召したようで、「買いなさい!買いなさい!お金なら援助するから!」みたいな方向に180度転換し、結局お金は援助してもらわなかったけど(そもそも、援助されるいわれはない)、なんかこの人自分の家だと勘違いしてる…?みたいな動きをし始めた。

私は、自分で買った初めての家で、大切に自分の城にしようと思っていたのだが、なんか私の物より母親のものの方が多い…。
そして、ダサいスリッパとか、IHで使えない鍋(つまりゴミ)とかを勝手に買い込んで置いていく。
私は知人から家を買ったので、その知人の私物もたくさん置いてあったのだが、「汚いから捨ててー」とか言われる始末。恩人のものだから、しっかり吟味したかった。
「あれが変だ、これが邪魔だ、カーテンの色が気持ち悪いから変えろ」みたいなことをとにかくものすごい勢いで言ってきて、そのくせ「ゴミの捨て方がわからないから捨てて来い」だとか「水抜きのやり方がわからないからやれ」だとか、客なんだか主人なんだから意味不明だった。ちなみに母親は車の運転ができない。私の買った家は、車がないとどこにも行けないので、もちろん「あそこへ行きたい」「あれが見たい」と運転手として働かされた。

そんな日々を1年ほど続けて、とうとう私は耐えられなくなったのだ。

過干渉が辛かったと告げると、「楽しい気持ちがいっぱいで、そこまで気づかなかった」だとか、「私の感想は言っちゃいけないの?」とか言っていたので、あぁもうきっとこの先もずっと分かりあうことはないし、私はこの人のことを嫌だと思い続けるんだなと思った。

できれば、今住んでいる家も引っ越して、遠くに行きたい。でも、、子どもが小さいから、まだそれはできない。


完全に断絶したわけではなく、話しかけられれば答えるし、たまにご飯を食べにいくこともある。
でも、やっぱりもう関わりたくないし、母親の理想を意識した人生の選択なんてもうごめんだ。


私の人生は、私のものだ。金持ちになろうが、貧しくて苦しい思いをしようが、私のものだ。

母親の抑圧を受けて感じたことは、私には不幸になる自由もあるということ。
何をもって幸せなのかは、当人にしかわからないこと。

だから、私は私の娘の人生は、好きに生きてほしいと心から思う。

お母さん、悪いけど私は、あなたより自分の人生を大切にすることにしたよ。

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