国際女性デーに思うこと
脳の構造における研究で、諸説矛盾があったものの、長らく男性脳と女性脳があると信じられてきた。しかし、「性差はない」という研究結果が出て、今やジェンダーによる能力や資質に差は無い、脳はジェンダーレスだという主張がある。私たちが思う「女性らしさ」「男性らしさ」とは、社会的な設定で決定されるものだと。
「差」と「違い」は別物して考える必要はあるかな、と思ってます。
確かに、男性と女性、どちらかの能力が、総合的に見て優れていたり、劣っていたりということはないという意味では「差はない」と言えても、「違い」はある。性別は多様であるということを前提として、あくまでその一側面としてのお話をします。…差別的であるという、誤解を生みやすい内容かもしれないので、一側面のこととして捉えていただけたらありがたいです。
以下は、男女差が小さいという結果のもので、
以下は、男女差の大きかったものです。
「乱暴な動作は男性が高い」…女性がこの被害に遭うということ、これはなくなってほしい。
「男性社会」「男性らしさ」が社会的な設定で決定されるものであるなら、このステレオタイプは、どうしたら変えることができるんでしょう…。これが変わらない限りは、女性の被害は恐らくなくならないのではと、そう思います。
社会に出てから出会った、男性たちが、挑戦することを教えてくれました。技術職の男性の多い会社で働いていたとき、「表現する」ことが苦手だった私に、それをさせてくれたのは彼等です。なので、私は、男性社会への肯定的な印象があります。
女性だって、攻撃的な人はもちろんいますし、大抵パワハラは女性から受けてきたので、どちらか片方の攻撃性が強いということではない。けれど、身体的な筋力の差異から、まず、一般的に女性はかなわないという意味で、身体的な攻撃性は男性の方が高いという結果は、統計上、出てくることかなと。
PTSDの一般的な治療法が、一時的に効果があったとしても、再発と寛解の波を行き来しながらの回復であるので、その間失った人間関係はとても大きなものでした。人との触れ合いが、本来は安心を与えるもののはずなのに、私にとっては「脅威」となってしまった。そして、自分の人格も変わってしまったように怒りっぽくなり、そのこと自体が自分を傷付け、大きなアイデンティティクライシスとなりました。交感神経の過緊張も簡単には緩和できず、それはそのまま、身体的な負担を意味します。
ここに書いたことは一部で、ケースが書かれているような本の中で見られるエピソードと、比較的共通項のあるものです。…書ききれないことが起こる、被害者の生きづらさを、公に出すことはやはり躊躇いがありますね。
最近は、薬物療法とうまく付き合えるようになり、今日、何となく気持ちが辛くて、だいぶ足が遠のいていたアロマトリートメントを受けに行きました。
施術中、何とも言えない優しい気持ちが湧き上がり、初めて涙が出ました。
この体験はとても意味のある大切なものだったので、自分の胸の中で、大切に温めて、大きく膨らませていきたいと思います。
回復の助けになる可能性のあるものを、たくさん集めていきたい。だから、研究スキルを身に付けるために、大学院へ行こうと決めたので、頑張ります。
健康に課題を抱える全ての女性の方へ。
どうか、笑顔を取り戻せますように。
笑顔のあった日を、大切にできますように。
この世から、全ての暴力がなくなりますように。
【参考ページ】
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