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自殺志願者の明日、

金・仕事・家など、全てを失い自殺を試みるも失敗に終わった彼と出会ったのは、約1ヶ月前の6月4日。この写真の場所だった。


そこは、ボクがその日の宿として目指していた道の駅だ。
道の駅に着いてから重いバックパックをおろし、階段で休んで一息ついていると、背後から小汚い大柄のおじさんが声をかけてきた。

大きなバックパックを背負っていたボクを見て「旅人」だと思い、話しかけたらしい。

そこの道の駅には、「情報コーナー」という地図や観光パンフレット、道路状況を知らせるモニターなどが設置されている部屋があり「その部屋だったら寝ることができるよ。」と、彼はボクに教えてくれた。

彼はその道の駅で、かれこれ2週間も過ごしているらしく、その間にボクのような旅人が何人か訪れていたらしい。

その経験からか、彼は「旅人に寝床を教え隊」の隊長として、ビジュアルが旅人でしかないボクに声をかけ、その任務を全うしたようだ。

お互い、人と話すことに飢えていたためか、すぐに会話に花が咲き、お互いの経緯を語るにつれ、彼は少しずつ心を開き、ボクに弱みを見せてくれた。

どうやら、知り合いの借金の保証人に仕立て上げられ、さらに返済に向かう途中、その返済用に用意しておいた現金(貯金全て)を無くしてしまったらしい。

頼るところもなく、職場(寮)のある鳥取市まで行く金もない。
ヒッチハイクを思いついた頃には、1週間弱も経っていたために体臭が酷く、それができなかったらしい。

全て手を尽くした頃、
彼にはもう未来を創造する余力などなく、自殺を決めた。

が、近所のおっちゃんがそれを見つけ、止めてくれた。

自殺が失敗に終わったことで、「もう少し生きよう」と思ったらしい。
ボクと出会ったのはその頃だった。

彼の告白を聞く前に、「自殺するのでは?」と彼の顔つきから想像するのは安易なことだった。
そんな顔つきに加え、生きることを一度諦めた彼が、「もう少し生きよう」と決めたとて、再び人生を諦めることなんて安易に想像ができる。

しかし、出会ったのも何かの縁。ここで何もしてあげなかったら、彼は明日にも諦めるかもしれない。それだけは避けたかった。
何かメッセージを彼に伝えることによって、彼の生きる時間を少しでも延ばしていって、その延びた時間の中で、彼に、彼自身に生きる意味を見つけてほしいと思った。

ボクは、趣味で読み漁ったビジネス書や自己啓発書・歴史書・哲学書などから得た知識を彼に伝えることにした。

二回り以上も歳下のクソガキの言葉を受け入れるのは難しいだろうから、実体験と合わせて伝えるよう心がけた。(彼、47歳)。

彼の中で少しずつ変化があったらしい。
ボクに対する目の向け方が、明らかに変わっていた。

彼の様子を見る限り、良い方向に向かっていきそうな気がした。

そんな彼の様子を見てボクは安心したのか眠くなってきたので、ボクは明日の備えて、寝ることにした。

チュン チュン---

予定より遅くに目が覚めたので急ぎ目に出発の準備。

彼の表情は、寝不足ながらにも昨夜より明るくなっていた。それを確認して、ボクは安心した。

コンビニが開いていたので、彼にパンとお茶を買ってあげた。
それはもう、めちゃくちゃに飢えていたのだろう。一瞬でたいらげていた。

ボクが出発の準備を終えると、彼も出発の準備をして立ち上がっていた。

ボクが寝ている間にもいろいろ考え、
「宮崎くんに着いていけば、何とかなりそうな気がするから、一緒に歩く。」という結論を導き出したらしい。

一緒に鳥取を目指して歩き出した。

歩いてる時も、色んなことを話して、話していくうちに、だんだんと彼の顔が明るくなってきていた。
その日は結構な距離を歩いたけれど、ずっと話していたおかげで、ボクも気が紛れていつもより歩きやすかった気がする。

その日は、東郷湖羽合臨海公園で野宿することにした。
公園とは名ばかりの、ただ浜辺と駐車場・トイレ・シャワーがあるだけの、閑散とした場所だ。地元の人が海で遊ぶには持ってこいの場所なのかな。

ベンチがあるところには、ツバメがたくさんいて、そこら中がフンまみれだったことは言うまでもない。

そこで休んでいると、地元の夫婦が来て「ここには越境ツバメがいるんだよ。ココ、このツバメ。」と指をさしたので見てみると、そこには他のツバメより一回り大きなツバメがいた。越境ツバメは長い距離を移動するために、体も大きいのだとか。

巣を作るツバメもいた。どこからか土を運び、それを壁に付ける。この繰り返しで巣が完成するようだ。何日くらいかかるのかな。いずれにせよ親ツバメは偉大だ。親は偉大だ。ありがとう。

日本海には夕陽の綺麗なスポットが多く、水平線に沈む夕陽を見ることができる。ここもそんなスポットの一つだった。

ボクはひとり夕陽を眺めに砂浜へ行き、そこで1人の時間をつくることにした。

ボクは誰かと行動するのが不得意だ。
彼と鳥取まで歩くことができれば、互いに成長や学びを得ると確信していたが、それはこの1日歩いただけでも、十分に得ることができていた。

様々な選択肢と向き合った末、ボクは決めた。
次の朝に最寄駅まで歩き、そこから電車に乗って、鳥取駅まで向かうと。

その旨や理由を彼に伝え、同時に感謝も伝えた。
ボク自身、こういった人と出会ったのは初めてのことだったし、一度人生を諦めたとはいえ、相手の言葉を素直に受け入れる彼の姿勢は見習わなきゃいけないと思ったからだ。

彼もボクの意見に納得してくれたようで、翌朝に電車に乗ることが決まった。
ある程度周りの人に配慮するためと、2人で着ていた服を洗濯し、体をボディーシートで拭いた。

洗濯物を干すところがなくて困っていると、彼がカバンからヒモを取り出してきたので、柱に結びつけることに。

このヒモは自殺を試みる際に使った余りなのだと。

「正しい使い方をしないとなっ」と言い洗濯物を干す彼のその姿は、「もう大丈夫」とボクに思わせてくれた。

少し残っていたパンを2人で食べ、その日はもう寝ることにした。


朝起きると、彼はいかにも寝不足の様子だった。話を聞いてみると、海沿いのため風が寒く寝付けなかったらしい。
服を貸すという選択肢すら思い浮かばなかった自分の不甲斐なさに嫌気がさした。ほんとそーゆーとこ。ダメ。

体を動かせば温まるだろうと考え、すぐに準備をして出発した。

彼との最後の徒歩の旅だ。大切な時間にしようと心がけた。
そこでもさらに正直な話を聞かせてくれた。

7キロくらい歩くと駅が見え、田舎あるある「無人の改札」を通り、電車を待った。
そこで彼は勇気を振り絞った様子でボクに「お金を貸してくれませんか」と言ったので、ポケットに入っていた千円札2枚と小銭の合わせて3000円くらいを彼に渡した。
「絶対にお金返しますから!」といい、連絡先を交換した。1か月後に電話をするという約束も添えて。

しばらくして電車が来たので、一緒に乗り込んだ。
電車に乗ると彼も安心したのか、すぐに眠った。

鳥取駅で降り、最後に握手を交わし、別れた。

3000円で大丈夫かなと一抹の不安を抱きながら、ただ生きていてほしい。そう願って。ボクは旅を再開させた。



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   7月3日 夜
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スマホでのんびりとYouTubeを見ていたときだった。

突然、非通知での着信がきた。

こんな怪しい電話、いつもなら面倒なので出ないのだが、
その日はなんとなく電話を受けてみた。

おじさんの声で「もしもし、宮崎さんですか?」と。


彼だった。

最初は気付かなかったが、彼が名乗ったとき、彼の声を思い出した。

「おぉーー、生きてたぁ、、」とつい口にしてしまうくらい、
本当にうれしくて、うれしくて。本当に良かった。

なんて形容していいのか、わからない。そんな気持ちで溢れた。

久しぶりに聞く彼の声は、1か月前とは比べ物にならないくらいになっていた。電話越しですら、そう感じたのだから、実際はもっとすごい変化なのだろう。

携帯電話はまだ持っていなかったため、
借りた携帯だったから非通知設定にしていたとのこと。

彼はボクと別れてからすぐに、次の仕事が見つかったらしく、今はもう普通に働いているらしい。無事に社会復帰できたということだ。

生きていることがうれしいし、
わざわざ連絡をくれて、しかも仕事も見つかったという報告は本当にうれしかった。

彼と出会えて本当に良かったし、自分の選択した言動によって、
一人の人に「命の恩人」とまで言われたこの経験は、凄く自信になった。
本当にありがとうございました。 

また次に会うときは、お互いに成長を見せ合えれば最高なのかなと。

その時までお元気で!またね





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