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人生は闘いだ!〜サラリーマン奮闘記〜


#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

「人に必要とされる人材になれ!
 自分が必要なければ、その場を去れ!
 次のステップに進むなら・・・」

1.序章 俺は、サラリーマンになった!

この一文目は、俺の死んだオヤジの言葉であり、
その後は、俺が生きる指針に作った言葉だ!

これから、生きるために闘い続けるサラリーマン
人生を語っていこうと思う!!

俺は、九州の片田舎で生まれた。
オヤジは鉄工所の職人で昔気質の頑固なよくあるガンコおやじを絵に書いたような人だった。

おふくろは、専業主婦でオヤジに3歩さがってついていくような人だった。

オヤジには、よく悪さをして殴られた事も押し入れに、閉じ込められた事もあった。
そういえば、友人と喧嘩して青アザつくって帰ったときは、怒られたがタイマンならいい また、仲直りしてこい!と言う人だった。

自分のしたことには責任を持て!
信念を持って生きろ!

といい聞かせてくれた事を
今でも忘れていない・・・

学生時代もやんちゃで窓ガラス2ケタ割ったときは、かなり怒られた 教頭からは、またオマエか
とあきれられ、反省文も素直に書いてまた怒られたw
感想文も面白くないと書いて、職員室に呼ばれたりもした。山火事を見に行ったら、翌日朝礼で仲間と正座させられたw
高校は手に職を持てとオヤジに言われ、俺もそう思って工業高校に行った。
電気科だったから、はんだごてで回路を作ったり、トランシーバーを作ったらコイル巻きすぎて逆によく聞こえる物になったw

1990年代 携帯もネットもなく、まだワープロが主流の時代、まだ世の中がバブルにわき、これから就職氷河期がくる事もわかっていない時代に
設立5年目の電話工事会社に就職した。

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当然、地方から出てきたため寮生活だった!
6畳ひと間の部屋に同期と2人で、布団を2人分敷いた万年床で押入れの上下がそれぞれの荷物置き場になる。そんな生活だった。

事務所の電話配線工事から大手電話会社の下請けでの電話配線工事、コールセンターといった具合に、いろんな電話配線工事を会社の仲間で行っていった。実際、家庭とかだとモジュラープラグの付いたケーブルをモジュラーコンセントにつなげば、その先は工事会社が行いますが工事会社側なので、天井に配線したり、よくむき出しの天井とかに梯子のようなものがあり、ケーブルが配線されたりしてあったり、場所によってはモールというカバーでかくしたりしていますね そういう作業をした。
床もカーペットの下に配線する溝があったり、二重床になってあったりといろいろ工夫されてたりしますので、その環境を下見してから配線工事を行なっていた。
現場によっては、下請けでトタンだったり、仮設の現場事務所で寝泊まりしながら作業を1ヶ月、2ヶ月やったりしていた。
電話も今と違って、デジタルじゃなくアナログだからダイヤルパルス式(※1)で電話交換機(※2)の工事もやっていた。

会社は、工事会社だったので罵倒が飛び交うようなうるさい雰囲気だった。当然、バカだとかそんなこともできないのかとか、仕事は学校じゃないんだから、教わるではなくやって覚えろ!先輩の仕事を見てぬすめという世界だった。

そして、仕事も増えていき、他の工事会社と一緒に仕事をしていくことも増えていった。
だから、いまでも下請けとかではなく協力会社という認識があるのかもしれない。
それは、逆もあるからで僕らが受けて工事をやったりしていたし、一緒にお客さんの依頼の電話工事をやっていたからだと思っている。

つづく 

※1 ダイヤルパルス式
信号方式には、10パルス毎秒方式(10 pps) と
20パルス毎秒方式(20 pps)があり、パルスとは
回線の接(メーク)と断(ブレーク)により送出される信号で、要は回転ダイヤル式(黒電話)でつながってる電話回線のことです。

中略 回転ダイヤル式電話機とは、ダイヤル操作(電話番号の送出操作)する機構に回転式円盤を用いた旧式の電話機のこと

※2 電話交換機(でんわこうかんき)とは、電話回線を相互接続し電話網を構成するための交換機である。

https://note.com/miyazakids421563/n/n2b5b8c4dcf14

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