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三宅ノート2

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記事一覧

今こそ、精神の運動を。

精神の動かした、精神の運動こそが知能を鍛える。

暗記でも、ロジックでもなく、人間はその本来の自由性において、

開かれた精神の無限の自由度の中から、

可能で有用な精神の動きを見出し、習得し、広めることで、

身体を超えて進化するのだ。

なぜ、デカルトが「精神指導の規則」という本を書いたのか、

論理主義でも、コギトでもなく、そこにあるのは、

近代における精神の運動の習得だった。

そして、

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小説とプログラム

プログラムと小説は似ている。

言葉を組みながらおまえは物語を冒険する。

プログラムを組みながら、おまえはデジタルの世界を旅する。

だからおまえはプログラムをしたい。

デジタルの世界を旅するために。自由のために。

未来に対する最大限の自由性

計画性とは未来に対する最大限の自由性を行使することである。

30,40,

中距離マラソンで走りきった時みたいに、ただ茫然としている。

20になった時、世界一になろうと決めて、さんざんな目にあって、29になった僕には、何も得られなかった。そして、大学からゲーム業界に就職した。

30になった時、30代を全力で走りきろうと決めた。人生は39までで十分だ。平凡な人生よりも、短く走りきろうと決めた。結果、へとへとになって40の瀬戸際に座り込んでいる。ゲーム業界に入って10年強

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時間軸をあわせて、コンテンツを。

エンターテイメントは変化した。かつて人がコンテンツと接する時間は、仕事や学校から帰ってテレビを見たり雑誌を見たり、マンガを読んだりゲームをする時間だった。休日にイベントか映画、コンサートに行く。

しかし、2006年以降は、誰しもべったりと、インターネットを通じて、携帯からコンテンツに接する時代になった。

だから、以前の「その時間だけ楽しめるコンテンツ」から、「一緒にこの時代を生きてくれるコンテ

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物語は始まる。

小説の中で起こっている物事が、深く自分自身の現在とシンクロする時、

もはや小説は小説ではなく、人生の一部となっている。

架空であったものが現実に浸食し、

現実であったものが架空に取り込まれる。

その無限の連鎖と循環が始まるときに、物語は始まる。

プログラミング・ガール

https://www.facebook.com/youichiro.miyake/posts/10206600727355636

「プログラミング・ガール」という企画を考えてみた。コンピューター・サイエンス・フィクション。

専門の掟。

自分のヴィジョンの傘に入らなかったものが手に入ることはない。

自分のヴィジョンの緻密さに欠けるところは、抜け落ちて手に入ることはない。

壮大にして緻密であること、

それでいておおらかで清々(すがすが)しいこと、

それがやがておまえが手に入れるべき沃野となる。

それが専門の掟である。

無数の知識が私の中を突き抜けて行く。

私は長い間、知識は自分の内側に貯め込むものだと思って来た。

それによって私は賢くなるのだと思って来た。

学校でもそう習ったし、確かにそう思えることもあった。

でも、私という存在は、

知識がそこに入って、外に抜けて行く存在なのだと思った。

つまり、私という存在は知識の通り道なのだ。

入っては出て行く。

出て行くということは、行動する、ということだ。

情報が入り、記憶となる、そして賢く

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マネージメントとは自由とは何かを考えることだ。

マネージメントとは管理を考える、と言えるかもしれないが、逆から捉えれば、

マネージメントとは自由とは何かを考えることである。

シドニアの騎士

ようやく劇場版「シドニアの騎士」を観れた。素晴らしかった。スタイリッシュを廃した実用重視の余裕のない無骨なデザインがリアリティを作り出していた。

どの時代にも不安はあった。
その形が時代によって違うだけだ。
そして不安は予感でもある。
エンターテイメントは、人々の持つその不安と予感を貫く時、時代に刺さるコンテンツとなる。

シドニアも、進撃の巨人も、新エヴァも、よくわからない巨大なもの、

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創造の流れは世界から自分を通って、世界と自分を結び、はじめて創造を可能とす。

私の外なる、そして私の内なる、

世界の、であり、同時に世界から自分を通って、再び世界へ流れる、

自分の、創造の流れ。

それは世界の流れであり、自分自身の内側を流れる流れでもある。

それが神髄だ。

それが創作において、世界と自分を結ぶ。

むしろこれによって初めて創造は可能となる。

ゲーム教育の3つの柱

とすれば、ゲーム教育においても、この3つは柱となろう。

ゲームを語る力、ありきたりの言葉でなく、新しい概念を創造すること、他の分野とゲームをつなげて行くこと。心理学、社会科学、自然科学、芸術言論。。。

ゲームを作る力。ゲームデザイン、アート、エンジニアリング、手法の開発と実験。そして何よりくり返し作ること。半分はエキササイズ。

ゲームを研究する力。ゲームを分析する力、分解する力。ゲームの成り

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ゲームの強い言論を。

言論が人をつないでいる。

ある分野で言論が弱まる時、その分野も弱まる。

ゲームの言論が弱まった時期に、もう一度力強い言論を打ち立てられなかったことが、

技術のキャッチアップ云々よりも、基本的なところで効いている。

我々がゲームに対する自由な言論の勢いを取り戻さない限り、

開発者にも、ユーザーにも、新しい道を示すことができないのだ。