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【🌎私の地球カリキュラム🌏①】

○プロローグ○

こんにちは、宮と申します。

皆さんは、この地球にどんなカリキュラムを持って生まれてきましたか?

私達は、
この地球🌏という巨大な入れ物に入れられた、
人間という名前を付けられた生き物で。


目には見えない
何かに仕組まれて
生かされているのではないかと
私は考えるときがあります。

人間はよく、
自分は何のために生まれてきたのかを考えたくなるのではないでしょうか。

でも、
そんな事を考えても仕方がないのではないか、
自分の意志とは関係なく生かされているのだからと、私は思ってしまいます。

生きていたくないのに、生かされていたり。
生きていたいのに、生きていられなかったり。

それぞれ、持って生まれてきたカリキュラムが違う。

幸せな人生を歩む人と、
過酷な人生を歩む人、
様々な人生のカリキュラムがある。

地球という星に生まれて来たのならば、
幸せな人生を歩みたいと、誰もが望むだろう。

しかし、
地球に生まれて来たということは、学ばなければならないことがある、ということ。

それは試練であり修行だと思う。
幸せや楽しいことだけが用意されたカリキュラムは無い。

人生には、
楽しいこと、辛いことが同じ位用意されていると言った者がいたが、そんなのは嘘だ、
私の人生は辛いことの方が明らかに多い。

こんなに辛い目にあっても、
あなたは、
「まだ生きていられるのですか」っと誰かに言われている気がする。

私はこう考える。

地球転生1回目ならば、
一年生のカリキュラム。
2回目ならば、
二年生のカリキュラムと転生をする度に、
少しずつ試練のレベルが上がって行くのではないだろうか?

私は、今回で何回目の地球転生なのだろうか?

そろそろ、
地球でのカリキュラムを卒業させてもらいたと考えている。

今回が、地球最後のカリキュラムになる事を節に願っている。



○この地球に転生するということ○

それぞれが、
生まれて来る時にある程度のカリキュラムを組んで、地球の母のお腹に入るのだとすると?


まず、1番最初の選択は、母選びだ。
これは、この地球に降りたつ時に、最も重要な案件であると考える。


これによって、試練の多いカリキュラムか、
楽しい事の多いカリキュラムかが決まってくる様な気がする。


産みの親というは、死ぬまで親なのである。

いや、死んでからも親である。
けして、変える事はできない。

今回私は、
岡山県の山奥に住む、
今の親を選んで生まれてきた。

試練の多いカリキュラムを選び、
この地球で最後の卒業試験を受けるもりで、
この地球という星に降り立った。


さーここからは、
今回の転生で、私がどんな地球でのカリキュラムをこなしてきたのかを、紹介していきたいと思う。

現在、私は車椅子に乗り生活をしている。
(誰の助けも受けずに)

難病になり歩く事は出来ない。
毎日、体の痛みに耐えながらの生活。

そんな体で、バリアフリーではない家で一人暮らし。
家賃を払うために仕事をしている。
職場まで、片道800m車椅子をこいで通っている。
毎日命がけである。

皆さんは、
今回この地球にどんなカリキュラムを持って生まれて来ましたか?

そして今、
どんなカリキュラムをこなしていますか?


カリキュラムは、生まれて来た時に、全て決まっている訳ではないと思う。

その時々の選択や状況で変わっていく。
(その選択は、目には見えない何かに、導かれているのかもしれない。)

偶然は無く、全てが必然のように思える。

    【私の地球カリキュラム②】につづく

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