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【🌏私の地球カリキュラム㉝】 難病障害者として ここで生きる覚悟 引越し


病院から退院して実家へと戻ってきた。

治療の甲斐もなく、私は正式に難病障害者となった。

ものすごーく頑張って、調子が良いと、
今は、ヨチヨチ20歩くらいは歩けているが、
20歩歩くと足は固まって動かなくなる。

室内は、壁をつたいながら、
外は杖をついてゆーっくり歩く。

親の前では、
平気なフリをして日々を過ごした。

しかし、
一人になると涙が止まらなかった。
仕事のこと、病気のこと。
歩けなくなったことより、
これから実家で生きて行かなければならないことが、何よりイヤで嫌でイヤでたまらなかった。

泣きすぎて目が腫れて、
見るも無残な顔で日々を過ごした。

そんな中、
母は泣きなが
「お母さんも毎日泣いとる、どうして良いか分からん」と私に言う。(o_o)

あなたより、
私の方が辛いと思うんですけど?ಠ_ಠ

とにもかくにも、
一度一人暮らしをしていた、アパートに帰って引越しをしなければならなかった。

1ヶ月間の強制緊急入院となった私は、
一人暮らしをしていた部屋を放ったらかしにしていた。
住んでもいないのに、家賃か発生しいるのは、仕事を辞めてしまった私にはキツイことだ。

戻らなければ、
一人暮らしを満喫していた私の秘密基地へ。

足代わりになる車椅子はない。
私は、
ヨチヨチ一人で杖をついて新幹線に乗り、
一人暮らしをしていた部屋に戻って引越しをした。

親はついては来なかった。
20歩しか歩けない人間を一人で戻らせて、
平気な親がいるなんてビックリだ。(・_・;

引越しのため、
1ヶ月間一人暮らしをしていた部屋で過ごした。
ハイハイしながら、荷造りや掃除を一人でした。
1番大変なのはゴミ出し。
ゴミは大量に出る、
部屋は2階にあるため、外階段をゴミを持って降りなければならない。
かなりの難易度であったが、ゴミ袋を引きずりながら、なんとか転けずにやりきった。

何より、
買い物行く事が出来ない不自由な生活、
ネットで購入した物だけで、生活するのは大変であった。 

後半はご近所さんで、仲良くしてもらっていた方に助けを求めることにした。
快く助けてくださった。
食べるものを色々買って来てくださったり、
市役所の手続きにもついて来てくださって、
本当にありがたかった。

優しさが身に染みて涙が出た。
ありがとうございました。

親なら、
買い物に行けない子供に食料を送らなければと思わないのだろうか?と思いつつ、 
親に助けてもらおうとは思わなかった。

なんとか
無事に全ての荷物を整理する事が出来た。
電化製品や家具は全て、
お片付け業者さんにお金を払って片付けてもらい、宅急便で送れる最低限の荷物だけ実家に送った。

沢山の物を手放し、捨てた。

・〜・〜・〜・〜・〜

実家に戻った私は、
本格的に実家で生きて行くことを考えなければならなかった。

どうしたら、
この山奥で生きていけるのかを考えたが、
やっぱり涙が溢れてきた。

これからの人生は、車椅子に乗っての生活となる。
どうやって生きていけば良いのか?
考えなくてはいけない事がたくさんあった。

改めて、覚悟を決めた。

ここで生きていく。
難病障害者の私には、それしかない。
そー思っていた。

    
    【私の地球カリキュラム㉞】へつづく


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