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「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第六話

(若山さん、大変ご無沙汰しています。今晩、何も予定なく大丈夫ですが、どこで、何時がいいですか?綾島)

本社中会議室で繰り広げられた質疑応答が一段落したところで、吾朗は十和子の携帯にショートメールを送った。すると、約一分ほどで、十和子からの返信が届いた。

(十九時に、新橋駅のSL前で。十和子)

(了解です。綾島)

吾朗は、そう返信すると、十和子のほうへ視線を向けた。

ちょうど吾朗のメッセージを受信したらしく、十和子は携帯電話を見た後で顔を上げると、微笑みながら吾朗と目を合わせた。その時、吾朗は、なぜか先ほどまで感じていた自分に対する劣等感や、チームからの疎外感、そして悔しさといったネガティブな感情を忘れていた。その理由は自分でも分からない。今はただ、この場で展開された新規ビジネス案のことをすべて忘れ、新橋駅のSL広場で十和子と会い、積もるほどの話しをしたいという気持ちで溢れていた。

「では、本日ご指摘いただいた内容を元に、今後、アイデアをブラッシュアップさせてまいりたいと思います。今日は、お忙しい中を・・・」

専任部長の仲城が、そう言いながら締めの挨拶ともいえるアナウンスをしていると、営業担当役員が途中でそれを制止した。理由は、『まだ社外コンサルの先生からコメントをいただいていない』と指摘したからである。

「大変失礼いたしました。では、オブザーバー席にいらっしゃるコンサルタント会社の若山シニア・マネージャー、講評をお願いいたします」

程なく、チームリーダーの男性社員からマイクを渡された十和子は、ゆっくりと立ち上がり、コメントを話し始めた。

「今日は、大変興味深く新規ビジネスのプレゼンテーション、そして意見交換を聞かせていただきました。非常に参考となる内容で、私自身も驚くような斬新さがあり、物流のリーディングカンパニーである御社のレベルの高さを感じました」

十和子はそう言った一方で、『本社たるべき提案要素が不足しているのではないか』と、問題点も指摘した。それはつまり、マスタープランといえるだけの基幹戦略の欠如である。

その要点は、以下のとおりであった。

今回の新規ビジネス案には、発想の奇抜さやビジネス展開の奥行きはあるものの、メインストリームである自社のシニア人材活用という基本路線が見えづらかった点がある。つまり、自前のアセットである全国の支店網をプラットフォームにし、そこにシニア人材が持つ経験やスキルを武器としてオントップするイメージ、さらには、日本の高齢化社会へ一石を投じるような戦略的発想が欲しかったと。

吾朗は、そんな十和子のコメントを聞きながら、なぜか鳥肌が立っていた。

『全く同感!』

心の中で、そうつぶやいた吾朗は、講評を終えて席に着く十和子の姿が、なぜか神々しく輝いているように見えた。

「今後の参考となる貴重なコメント、ありがとうございました。え~、では以上をもちまして本日の会議を終了させていただきます」

仲城のアナウンスで、着席していた社員たちは、一斉に立ち上がり、流れるように出口へと向かい始めた。普段なら、その流れに混ざって目立たぬように、吾朗も外へ出ようとするところであるが、なぜか今は、もうしばらくこの場所に座ったままで、十和子を何気なく見つめていたかった。

十和子は、中会議室の前方で部下と思われる男性と一緒に、役員や部長たちと談笑している。そして、仲城はその横に立ち、その会話を聞きながら満足そうな笑みを浮かべていた。

「これからオレは、この会社で何をすればいいんだ・・・」

会社の中で、出世ラインに乗りながら問題なく昇進を続けるであろう勝ち組メンバー達の姿を遠目に見ながら、吾朗は考えていた。

「ダメだ。ここにいると頭がおかしくなる・・・」

そう感じた吾朗は、書類を手に勢いよく立ち上がり、足早に中会議室を後にしたのだった。

午後六時四十五分。

夏至を過ぎたJR新橋駅、SL前広場。

この時間になっても東京の空はまだ、ほんのり青い。

サラリーマンたちが行き交う新橋駅前では、中央に置かれてある蒸気機関車(SL)を目印に、待ち合わせの人々が、それを囲むように立っている。

吾朗も同じようにSLの傍に立って、時折、腕時計をチラッと見ながら十和子の姿を探していた。

「ごめん、待った?」

息を切らしながら、十和子が吾朗の背後から駆け寄ってきた。

「全然、待ってないよ。それより、そんなに走ると、汗が・・・」

三十年近く前の香港で、十和子と最初で最後のデートをした夜のネイザンロード。そこで、ふたりは熱く抱き合った。その時点で既に、吾朗は十和子に対して丁寧語を使っていなかった。とはいっても、今この突然の再会による緊張感からか、先ほど送信したショートメールでは、十和子に対して丁寧語を使った吾朗だが、いま実際に彼女の声を聞き、その表情を見た途端、なぜか先ほどまでの緊張感は消え失せて、タメ口となっていた。

「心配ご無用。もうすでに汗だくだから」

屈託のない笑顔を見せながら、十和子が白いジャケットを脱いだ。

「どう?元気してた?」

額の汗を手の甲で拭いながら発する、十和子の明るい声を聞いた瞬間、吾朗は、それまで抱えていた息苦しさから救われたような安堵感を覚えた。

「う~ん・・・、たった今、元気になったよ」

そう言う吾朗は、心からそう思っていた。

「それって、なんか意味深だな~」

笑顔のままで、そう言う十和子を、吾朗は目を細めながら見つめた。

「じゃぁ、いまから、どこに行こっか」

二十八年分の過去を一刻も早く、ひとつひとつ聞いてみたい衝動に駆られながらも、吾朗は平静を装って、そう言った。

「そうね~、飲茶が食べたいな~」

「いいよ。それじゃあ、日比谷シャンテの添好運レストランはどう?人気の店だから、ちょっと並ぶかもしれないけど・・・」

「ぜ~んぜん問題なし。そこで決まり!」

そう返事をした十和子の背中に手を回した吾朗は、ふたり並んで外堀通りへと向かった。そして横断歩道を渡り、タクシーを止めると、先に乗車した吾朗はドライバーへ『ガードをくぐった先の外堀通りを左に進み、その先にある数寄屋橋を左に曲がって、少し先で停めて欲しい』と指示した。

「道に詳しいのね。さすが、運送屋さん」

「そう言う十和子さんだって、香港ではウチの現地法人にいたじゃない?」

走り始めた車の中で、吾朗は十和子を見つめながら、かつて香港で十和子に広東語を指導してもらった日々を思い出していた。

ふたりがタクシーを降りて、添好運レストランがある日比谷シャンテの広場に着くと、一階にあるレストラン前には、もう既に十五メートルほどの列ができていた。

「よかった、これでもまだ列は短いほうなんだよ」

吾朗はそう言って、十和子とともに最後尾へと並んだ。

「綾島くん・・・、この数年で、いろいろ苦労したみたいね」

「あぁ、その話しね・・・っていうか、どうして知ってるの?」

驚いた表情をする吾朗に対して、十和子は真剣な眼差しを向けながら、遠い昔の甘い記憶を、噛み締めるように話し始めた。

二十八年前、十和子は吾朗とネイザンロードの路上で抱きしめ合った後、ふたり手をつなぎながら、ビクトリアハーバーへと向かって歩いた。ペニンシュラホテル前から横断歩道を渡り、スターフェリーの乗り場近くに着いたふたりは、再度そこで抱き合いながら、まるで時間を忘れたように長い口づけを交わしたのだった。

「それじゃ、そろそろ、時間も遅いし・・」

既に午後十時を回っていたことで吾朗は、九龍側の高級住宅街である太子道に住んでいる十和子を気遣って、別れを告げようと唇と離した。そして吾朗は、香港島のセントラル地区にあるヒルトンホテルに宿泊していたこともあって、港から出航するスターフェリーの改札口へと視線を向けた。

「あの・・・、私も一緒に、乗っていいかな?」

突然、そう言った十和子は、何かを決意したような表情で、吾朗の瞳を見つめている。

そして次の瞬間、吾朗は、その言葉を待っていたかのように、再び十和子の唇を求めながら、それまでよりも一層激しく十和子を抱きしめたのだった。

もはや、ふたりの間に会話は必要なかった。

スターフェリーの二階席に並んで座り、ただひたすら夜のとばりに浮かび上がる夜景を眺めつづけた二人は、香港島側に着いた後、港にほど近いヒルトンホテルへと歩いた。そして十和子は、吾朗が宿泊していた上層階にあるハーバービューの部屋に入り、最初で最後の夜を過ごしたのである。

第六話 おわり


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