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「おこりじぞう」の物語とホロヴィッツ、「世界は戦うためにあるのではない」

 下は女優の木内みどりさんが晩年朗読に取り組んだ童話「おこりじぞう(怒り地蔵)」(作:山口勇子、絵:四国五郎)の一節で、原爆投下という無慈悲な戦争の中で倒れた一人の少女を描いている。戦争の記憶を風化させてはならないと木内さんがこだわった作品で、悲惨な原爆投下直後の様子がよく伝わってくる。

「女の子は背中に大きなやけどをしていて、おじぞうさんの前で倒れてしまいました。倒れながら少しだけ顔を上げておじぞうさんの顔を見上げると、『かあちゃん みず』と言いました。『みず、みず』と女の子の声はだんだん小さくなっていきました。すると、おじぞうさんの笑顔がだんだん何かをにらみつけるような怖い顔に変っていき、まるで仁王の顔になりました。おじぞうさんの目から、ぽとり、と次々に涙が落ちて女の子の口の中に入っていきました。女の子は涙の水を飲み終えると、『かあちゃん』と言って少し笑い、そのまま動かなくなりました。」


 紛争で社会が壊れる時にはまず子どもや女性、老人など弱いものが崩れる。ソ連では1988年に「気高い勇気を示して非業の死を遂とげた世界の4人の少女」を記念した「4人の少女記念賞」という文芸賞がつくられた。その4人とは広島の折り鶴のエピソードで知られる佐々木禎子さん、アンネ・フランクさん、ソ連とナチス・ドイツとのレニングラード包囲戦の様子を「サヴィチェフ家は死んだ、みんな死んだ、残ったのはターニャだけ」という言葉で自らの日記を閉じたターニャ・サーヴィチェワさん(1930~44年)、「神様は我々が平和に暮らせるようにこの世界をお造りになられました、戦うためではありません。」と1982年にアンドロポフ・ソ連共産党書記長に手紙を送ったサマンサ・スミスさん(1972~85年、85年に飛行機事故で死亡)だった。ロシアのプーチン大統領、アメリカのバイデン大統領も、こうした少女たちの平和への希求や感性、心情を理解できないわけではないだろう。

サマンサ・スミス https://www.pinterest.ru/pin/251920172890640613/


 「20世紀最高のピアニスト」と形容されるウラディミール・ホロヴィッツ(1903~89年)は、ウクライナ・ジトーミル州で生まれ、キエフ音楽院で学んだウクライナ出身のユダヤ人だ。1920年代の終わりからアメリカを拠点に活動していたが、1986年4月にモスクワで里帰りとも言うべき公演を行った。冷戦の時代にソ連での彼の公演が実現したのは、1985年11月にレーガン大統領と、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長の間で米ソ首脳会談がスイス・ジュネーブで行われ、核兵器の削減で合意が実現するなど米ソの和解が進んだからだった。スイス外務省は「地球的規模の問題の解決には建設的対話が必要で適切」と評価したが、この会談を背景にホロヴィッツのコンサートも実現し、モスクワ市民からは「ブラボーと涙が贈られた」とニューヨークタイムズが報じるほど大成功を収めた。アメリカとソ連、両国民に感動をもたらすホロヴィッツの卓越したコンサートを実現させた対話のように、現在でもアメリカとロシアの首脳には同様な建設的な外交ができるだろう。


ホロヴィッツ モスクワのコンサートで


 ウクライナの戦争は、プーチン政権の下でロシアの国の内外を含めて何度目の戦争になるのだろう。イスラム地域を専攻しているだけに、プーチン政権のロシアが空爆したチェチェンやシリア・ホムスなどの街の無残な姿が鮮明に記憶に残っている。アメリカなど欧米諸国、またウクライナ政府もウクライナのNATO加盟を棚上げして戦争を回避すべきだった。ロシアの侵攻を招き、市民の犠牲を招いてまでもウクライナのNATO入りに拘泥する大義があるとは到底思えなかった。

画像は
https://twitter.com/kinnohoshi/status/1159730265771528192 より

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