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「母の日」にあらためて知るイスラエルのガザ攻撃の非人道性

 今日は母の日だが、ガザでは戦争中、ガザでは平均して1 時間ごとに2人の母親が亡くなり、家族は大きな衝撃を受け、子どもたちは孤児になるなど子どもへの保護も希薄になっている。

 10月7日のガザでハマスの奇襲攻撃があって以来4カ月の間、世界中でそれまでの4年間で亡くなった子どもよりも大勢の子どもたちがガザで亡くなった。多くの母親は栄養失調のため、新生児のために乳が出ない。スーク(市場)には粉ミルクもなく、それを混ぜる清潔な水も獲得が不可能だ。

 ガザでは毎日180人の女性たちがイスラエル軍の攻撃がある中で出産し、ガザにある36の病院はほとんど瓦礫となっている。ガザではトイレは850人に1つ、シャワーは3500人に1つしかない。女性たちは生殖器感染症や尿路感染症のリスクが高まっている。

 ガザは女性たちにとってもひどい状態になっているが、こういう環境下でイスラエルはガザ・ラファでの作戦拡大を決定した。あらためてイスラエルのガザ攻撃の非人道性を知る思いだ。

 歴史的に戦争に反対の声を上げ、平和に果たした母の役割は大きかった。今日は母の日だが、これはアメリカで戦争に反対した女性たちの活動を背景に成立したものだった。

 「リパブリック讃歌」の作詞者であるジュリア・ウォード・ハウ(1819~1910年)は、米国の奴隷制度の廃止も唱えたが、南北戦争の惨禍を視て、戦争は兵士たちが犠牲になるだけでなく、未亡人や孤児を大量に生み出す悲劇的な現実に気づく。彼女は普仏戦争に対して1870年に国を超えて女性たちが起ち上がり、戦争を停止することを訴え、毎年6月2日を「平和のための母の日」にすることを呼びかけた。

 彼女の考えは1858年に南北戦争の際に両軍の傷病兵たちの衛生状態の改善のために女性たちの結束を求め、「母の仕事の日」を設けることを提唱したアン・ジャービス(1832~1905年)の活動に影響されたものだった。

 アン・ジャービスの娘であるアンナ・ジャービス(1861~1948年)はハウや母親の業績を知り、女性のための記念日である「母の日」の制定のために尽力した。アメリカでは1907年にウェスト・バージニア州で「母の日」が祝われ、1914年にウッドロー・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を合衆国の「母の日」を制定した。

 東京大空襲を立案した米軍のカーティス・ルメイ少将は「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することについては『ふざけるな』と言いたい!」と言い放った。きっと現在、ガザ攻撃を推進するイスラエルの極右勢力も同様な感情をもっていることだろう。

楽しかりし あの日のこと
やさしかりし 母の瞳
今は遠く すべて去りぬ
ゆめの うきぐも
「禁じられた遊び」(近藤玲二作詞)
歌の動画は 

https://www.youtube.com/watch?v=mEktN0BmyAI

 にある
 日本の反核運動を最初に担ったのは日本の母親たちだった。1954年に第五福竜丸が被ばくすると、3000万の署名を集めたのは日本の母親たちだった。

 「(署名で)名前を書くことにいったいどんな意味があるのか?と問われたとき、ある母親は「黙っているよりはるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」と答えた。この動きは、1955年(昭和30年)8月6日に開かれた第一回原水爆禁止世界大会の開催となった。 


http://ameblo.jp/e-miracle/entry-10891597721.html

「生命を生み出す母親は
 生命を育て
 生命を守ることをのぞみます」(「世界母親大会」宣言)

表紙の画像は 戦闘で負傷した子ども=パレスチナ自治区ガザ地区南部ラファで2024年5月10日、ロイター


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