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菅原敏『かのひと』|遠い過去を近くに感じるために

古典をなかなか読めないのは、生きている国が違うから、とある人がいった。それが「日本語」であったとしても、古典となると、外国の言葉を読むように遠い存在になる。

日本では二度の歴史的な断絶を経験した。明治維新と敗戦だ。明治維新ではいままでの鎖国による風土から、列強を受け入れることで一気に西洋化されていった。このとき日本の風景が断絶した。木造からレンガ造りへ、ちょんまげから散切り頭へ。江戸と明治の両方を生きた人は、「もはや日本文化は失われていく」などと言った。広重が描いたような浮世絵の風景が消えていったからだ。

敗戦のときには、日本語が断絶した。いわゆる「旧仮名遣い」と呼ばれるものから、「現代かなづかい」への変更が施行された。「新かな・新字」と言われる。「てふてふ」から「ちょうちょう」への変更である。いまとなっては、昔の言葉はわからない、と「古文」を嫌がる程度でしかないが、これに抵抗した人もいる。

福田恆存(つねあり)という作家は、執拗に国語改良に批判を加えていった。なぜ言葉を新しくしたくなかったのか。それはひとえに、「歴史の断絶」を感じたからだった。言葉が変わることで過去の遺産へのアクセスができなくなるからだ。

それから70数年、ぼくらは古文を嫌い、古典から遠ざかり、源氏物語や小野小町や鴨長明に直接アクセスできなくなった。英語のように、翻訳しないと理解できなくなってしまった。「あふさか」という言葉から、「あふ(逢う)」と「逢坂」を同時に感じられなくなったのだ。

菅原敏さんの『かのひと 超訳 世界恋愛詩集』は、そんな現代のぼくらを偉大なる過去の世界へとつなげてくれる。

この本は日本に限らず、古今東西の恋愛詩を集めて、現代の人でもわかりやすく「超訳」してくれている。過去や異国にアクセスできないぼくらを優しく手助けしてくれている。ちなみにcakesの連載から生まれたものだ。久保田沙耶さんの装画も見てて楽しくなる。

たとえば、小野小町の
今はとて わが身時雨に 
 ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり

の歌はこうなる。

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もうおしまいだ
とあなたがいった
そうね
わたしは年をとった
時雨にぬれる木の葉も
かつての約束の言葉も
色あせてしまったから

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小野小町が抱いた別れる男女の儚さを柔らかく超訳する。「言の葉」が「うつろふ」ことで、葉がしおれていく様子と昔の二人の約束の言葉が変わってしまったことが重なっている。原文では多くを語っていないが、超訳では丁寧に補足してくれている。

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たとえば、在原業平の
世の中に たえへ桜のなかりせば 
 春の心は のどけからまし

はこうなる。

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この世に桜がなかったならば
春の心はおだやかで
かき乱されることはない
この世におまえがいなければ
ひとりの夜さえおだやかで
酒と歌とで満ち足りた

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プレイボーイである業平が女に翻弄される様が描かれる。桜と「おまえ」がもしいなかったら、おだやかな日々なのに、と反実仮想で綴られる。

他にも中国の漢詩もある。陶淵明の「閑情賦」という詩だが、タイトルが刺激的だ。その名も「私はあなたの帯になりたい」。

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私はあなたの 衣の襟になりたい
首の香りを いちばん近くで
感じていたいから
(夜になれば 私は脱ぎ捨てられるのです)

私はあなたの 帯になりたい
たおやかな細い腰 締め上げて
束ねていたいから
(季節変われば 私は脱ぎ捨てられるのです)

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かなりヤバそうな詩だ。陶淵明は官吏として国に仕えるものの、後に隠遁し、田園風景や隠居生活を描く詩が多い作家だが、こんな妖しい作品があるとは知らなかった。

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シェイクスピアからも一つ。ソネットの130番はこうだ。

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「雪が白なら彼女の胸は」
彼女の瞳より太陽は輝いているし
彼女の唇より珊瑚のほうが赤い
雪が白なら彼女の胸は浅黒く
髪が絹なら彼女の髪は黒い木綿
(中略)
でもさ、
ほかの詩人が嘘だらけの比喩で描く
どんな女たちよりも、
僕の恋人は美しいんだ
-

冒頭で貶めておきながら、最後に持ち上げる。色男の文才が際立つ。

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そして、ぼくが一番ドキッとしたのは、与謝野晶子の「みだれ髪」。

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黒くてきれいな わたしの髪も
あなたがふれた 心臓も
みだれ みだれて 朝になる

恋する女の くちびるに
つやつやグロス 毒入りの
滑らせたいの わかるでしょ

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与謝野晶子の激しさと毒々しさがあらわれる。

奈良平安のみならず、明治から昭和を生きた人の作品であっても、もはや今は昔。原文で読むにはあまりにぼくらからは遠い存在になってしまった。だからこそ、超訳はぼくらを過去の世界へと優しく案内してくれる。池澤夏樹さんの「日本文学全集シリーズ」も、最果タヒさんの「百人一首」も、過去を近くに感じさせてくれる作家たちの作品はいつ読んでも心地よい。

福田恆存が危惧したように、日本はだいぶ過去から遠ざかってしまった。それでも、数多くの作家や翻訳者の手によって、少しでも近くに感じられることに感謝しかない。


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