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いかに人を動かすのか?―ドナルド・A・ノーマン【百人百問#002】

デザイナーの聖書とも呼ばれるドナルド・ノーマンの『誰のためのデザイン?』。1988年に上梓され、人間中心デザインやユーザーエクスペリエンス(UX)の原典となっている。いまやUIやUXという言葉が日常的に使われるなかで、「デザイン」という行為が装飾やアートとは異なり、認知科学の側面を持っていることを示したことがエポックとなった。

人は思い通りには動かない。
コンビニのコーヒーを買うのはいつも戸惑うし、エレベーターで押し間違えることもなくならない。テレビのリモコンはいつまでも操作が難しく、ガスコンロでは狙い通りに火がつかない。

もちろん使い方を「記憶」できれば上手に使いこなせる。説明書を読んだり、何度も学習することで、間違えることなく使えるようにはなるだろう。しかしながら、すべての機器の使い方やボタンやリモコンの操作方法を覚えることは現実的ではない。にもかかわらず、われわれの周りには小難しい操作パネルが増え続けている。

人はどうすれば、製作者が想像したように動いてくれるのだろうか?
ミスを減らし、説明を無くし、無駄な問い合わせを撲滅するためにも、”正しく”ユーザーを動かすことが、社会の大問題になっているのだ。

ドナルド・ノーマンは「デザイン」の専門家ではなかった。MITでコンピュータについて学び、ペンシルベニア大学で心理学の博士を修得、ハーバード大学の認知科学センターでポスドクフェローを経ている認知科学の専門家である。

そんな彼が招聘されたのは原子力発電所の事故が起こったスリーマイル島だった。比較的単純な機械的な故障が誤って判断され、炉心が融解し、深刻な放射能漏れ寸前になり、ついにはアメリカの原子力発電が完全停止に至った事故だった。

この事故について分析したノーマンは、原因をヒューマンエラーではなく、「デザインエラー」であると判断した。オペレーター個人の責任によるものではなく、発電所の制御室のデザインが悪かったために起きた事故だったのだ。

ここでの教訓から「我々は人間のためにデザインを行うのだから、人とテクノロジーの両方を理解しなければならない」ということを学んだのだ。ノーマンはここから、デザインはテクノロジーと心理学の魅惑的な相互作用を引き起こすこと、デザイナーはその両方を理解しなければならないことを認識することになる。ここから人間中心デザインが生まれることになる。

エラーを起こすのは機械ではなく、人間だ。だからといって、個人の責任を問うても何も改善しない。機械と人間のインターフェイスにこそ、解決の糸口がある。そこに、ユーザビリティやユーザーインターフェースの産声が上がる。

では、人を動かすためには何が必要なのか?
ノーマンの答えは「良いデザイン」が必要、ということになる。

では、良いデザインとはなにか?
ノーマンによると、良いデザインの重要な特性は「発見可能性」と「理解」だと言う。「発見可能性」とは、どういう行動が可能か、どの部分をどうすればよいのかを見つけ出せるか。見ただけで、「押す」「引く」「スライドする」などが発見できることである。
「理解」とは、それらが一体何を意味するのか、どんな使われ方を想定しているのか、ということである。ボタンを押すことでドアがどうなるのか、エアコンはどう動くのか、コンロのどこに火がつくのかがわかる、ということだ。この2つが明確であるものが、「良いデザイン」なのである。

ものすごくシンプルな話ではあるものの、この「発見」と「理解」のためには、人間の行動特性がわからないといけない。人は出っ張っているものを見て、どう思うのか、凸凹しているものを見てどう思うのか、赤くヤバそうなスイッチを見てどう思うのか、など、人の行動を想像しなければいけない。

さらに、それがハサミやドアやコンロのような「すでに知っているもの」であれば、比較的難易度は低いかもしれないが、「VRゴーグル」や「電子マネー決済」や「電動キックボード」であればどうだろう?普段使っていない人にとって、それらを使うことは恐怖でしか無い。何を押したら、どうなるのか不安に苛まれる。

この未知なものを出会うときに重要になってくるのは「概念モデル」である。まだ見たこと無いもの、理解の難しいものに対して、理解を助けてくれる。たとえば、パソコンの「フォルダ」や「ファイル」というものは実際には存在しない。それらはデータや0/1の数字にしかすぎない。

しかしながら、人間がその存在を用意に理解するために、リアルオフィスにある、「フォルダ」を想定し、その中に「ファイル」があるように”見せている”。そして、いらなくなったら「ゴミ箱」に捨てる。データをデリートしているだけではあるが、私たちは「ゴミ箱」があることで、一瞬でファイルの操作が可能になる。

同様の工夫が新しいテクノロジーやサービスには重要になる。見たことも無いものを人は容易には受け入れない。概念モデルやメンタルモデルで認知することで、一気に関わりやすくなるのだ。たとえば、Tinderは人物を「カード」に見立てて、スワイプでLIKEとNOPEを選り分ける。そのカードの選別だけでも楽しくなるようなUIを実現している。

良いデザインを生み出すためにノーマンは、行為の7段階理論というものを提唱している。それぞれには問いが設けられている。

1.ゴール:何を達成したいか?
2.プラン:代替となる行為系列は何か?
3.詳細化:今どの行為ができるのか?
4.実行:それそどうやってやるのか?
5.知覚:何が起こったのか?
6.解釈:それは何を意味するのか?
7.比較:それで良いか?私はゴールを達成したのか?

製品を利用する人が、いつでも7つの問いに答えを出せるようになっている必要があり、デザイナーは問いに答えるための情報を確実に提供する責任を負っている。こういう理論を眺めて見るだけでも、デザインの役割が装飾や見栄えの良さではないことがわかる。

しかしながら、この理論はもはやデザインの領域に留まらない。人を動かすことがゴールだとすると、それは「選挙」や「投資」や「ダイエット」や「学び」など、どんな行動にも通底することだろう。もしかしたら、選挙に行かない個人に責任があるのではなく、そこにも”デザインエラー”があるのかもしれない。ダイエットができないのも個人の意志の問題だけではなく、7つの段階を上手に設計できれば、誰もがダイエットできるかもしれないのだ。

ノーマンの思想はデザイナーだけのものにしてはいけない。より良い社会を実装する人にも、より良い健康を手に入れたい人にも、有効なのだ。

そこで、さらなる疑問が生まれる。「人を動かせる」ことが最近悪用された。記憶にも新しいケンブリッジ・アナリティカ社の事件だ。Facebookから得た個人情報を不正に利用して、アメリカの大統領選で共和党支持者を増やし、イギリスのEU脱退に誘導したというものだった。

データによって人は行動を変えてしまう。ノーマンが目指すように心地よい体験によって正しく操作できるようになることは重要である。しかしながら、デザインではなく、データのフィルターバブルや確証バイアスによって人は右にでも左にでも傾いてしまう。

人をいかに動かすのか?そして、本当に動かすことはいいのだろうか?
他者と関わりながら生きているすべての人にこそ必要な問いだろう。


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