見出し画像

「企業の文化」を考える前に「人類の文化」について考えてみた

普段はCINRAという会社で企業のインナーブランディングなどをやっているのですが、企業文化やインナーブランディングに役に立ちそうな情報を発信していければと思い、noteをはじめました。(自己紹介エントリはいつかやりたいです。)

最近の疑問は「企業文化」ってなんだろう、そもそも「文化」とは何なのか、というテーマです。

いまインナーブランディング業界では「カルチャーフィット」や「企業文化の醸成」などが重要視されています。その手法や考え方はさまざまな人が発信しています。

特にGoodpatchさんのこの記事はカルチャーをつくるにあたって、とても参考になります。

そこで、そもそも「企業の文化」について考える前に「人類の文化」について学んだほうがいいんじゃないか、と壮大に思いたち、こんな本を読み始めました。

『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎著、ミシマ社)
本を紹介しながら、「文化とは何か」を探っていきたいと思います。

(ちょうど若林恵さんが著者の松村さんと一緒に、代官山蔦屋で文化人類学特集をしていました。)

1.商品と贈り物の違いは?

まず最初に、この本の第一章は「経済」がテーマで、『「商品」と「贈り物」を分けるもの』という副題がついています。

みなさんは、商品と贈り物の違い、わかりますか?

コンビニを眺めてみると、すべてが商品です。お菓子もジュースもお弁当もタバコも雑誌も「お金と交換できるもの」は商品です。一方で、お菓子もジュースもお弁当も贈り物になりえます。タバコや雑誌を贈ることもあるかもしれません。

ということはどれが商品でどれが贈り物、という区別は無さそうです。

当たり前ですが、「誰かに渡す/誰かから受け取る」場合に、商品は「贈り物」に変化します。(↓当たり前の図)

スライド1

これをフランスの社会学者ピエール・ブルデューは「時間」によって、両者は区別される、と言っています。たとえば、チョコレートをもらって、すぐにクッキーを返せば、それは"商品"交換ですが、1ヶ月後にクッキーを返せば、返礼という名の「贈り物」になるという風にです。

面白い考え方ですが、クリスマスの「プレゼント交換」のようにその場で交換するものもありうるので、「時間」がすべてでは無さそうです。

2.「りんご」はいつ贈り物になるのか?

では、何が両者を分けるのでしょうか?
ここに1個のりんごがあったとします。これは商品か贈り物か?

スライド2

先ほどの話でいえば、お金と交換したら「商品」になり、人に渡せば「贈り物」になります。

ここで気になるのが、ただ単に人に渡すだけで、「贈り物」になるのでしょうか?

「はい、これ」と渡されて、「贈り物をありがとう!」とはならなさそうです。むしろ、「え・・・?」とその人の行為を疑ってしまうはず。(突然りんごを渡してくる人がいたら怖すぎる・・)

では、どうすれば、りんごを快く"贈り物"として受け取ってもらえるのでしょうか?

たとえば、
 ・その人の誕生日に渡す
 ・何か手伝ってくれたときに渡す
 ・リボンを結んでみる
 ・手紙を添える
 ・桐箱に入れる
 ・「この前はありがとう」といいながら渡す

などなど、あの手この手を尽くすと、
りんごが「贈り物」に変わり始めます。

スライド3

人は、リボンや箱や包装紙から「プレゼントらしさ」を感じ取ります。また、感謝の言葉や記念日にも同じ効果があり、商品が贈り物に変化します。

これが「文化づくり」のヒントになりそうです。

3.「きまり」が文化をつくる

このことについて、著者の松村さんはこのように書いています。

「同じチョコレートがきれいに包装されてリボンがつけられ、メッセージカードなんかが添えられていたら、たとえ中身が同じ商品でも、まったく意味が変わってしまう。ほんの表面的な『印』の違いが、歴然とした差異を生む」(『うしろめたさの人類学』p26)

この「印」が想像以上に重要なことのようです。心がこもっているかよりも、文化人類学的には、この「印」が商品と贈り物の差異を生んでいるということです。

さらに上記の「商品」と「贈り物」の違いは、「商品=経済」と「贈り物=文化(非経済)」の違いに相当していきます。

ぼくらは人とのモノのやりとりを、そのつど経済的な行為にしたり、経済とは関係のない行為にしたりしている。「経済化=商品らしくすること」は、「脱商品化=贈り物にすること」との対比のなかで実現する。こうやって日々、みんなが一緒になって「経済/非経済」と区別するという「きまり」を維持しているのだ(同書、p.26-27)

ここで始めて「経済」と「文化」が対比されます。すなわち、この「贈り物」をつくることが、「文化」をつくることに相当します。

そして、ここで大事なことが「きまり」です。

先ほどの、包装紙や記念日や感謝の言葉に相当します。
「誕生日にはプレゼントを渡す」というきまりや、「包装紙が立派だとプレゼントになる」というきまりや、「値札を取る」というきまりなど、その国や社会に応じて、きまりは存在します。

そして、この「きまり」こそが、文化を生み出します。どんな包装紙なのか、どんな記念日があるのか、どんな言葉を添えて渡すのか、それらはすべてその国や社会の文化です。日本では包装紙を何重にも包んだり、お年玉というきまりがあったり、「粗品ですが」と言ったりするのが、それです。

そこから奥ゆかしい日本的な文化も、ダイナミックなアメリカ的な文化も生まれてきます。

ざっくりいうと、先ほどの社会学者ブルデューは、この「きまり」を「ハビトゥス」と呼びました。(より詳細には、そのきまりによるシステムを「ハビトゥス」と呼んでいます。)

スライド4

最初のテーマに戻りますが、「企業の文化」の前に「人類の文化」とは何かを考える、ということでした。そして、「人類の文化」には「きまり」が隠れていました。

りんごをいくら大事にしても、りんごは「文化/贈り物」にはなりません。りんごを渡すタイミングや包装紙や言葉が、りんごを文化たらしめます。

4.「飲み会」は文化か?

さて、では「企業の文化」はどうやって育まれるのでしょうか?

上記の考えからすると、「きまり/印/ハビトゥス」が大事そうです。言い方を変えると、「脱経済化」することが重要そうです。りんごに「値札」がついたままプレゼントとして渡しても、嬉しくありません。

同様に、会社が行うことに「値札」が見えてしまうと、「文化」にはなりえません。

たとえば、「賞与」は文化ではありません。労働にたいする対価としてもらっているからです。

「飲み会」はどちらでしょうか?
昔は「飲みニケーション」とも表現され、人間関係を築くための心地よい「きまり=文化」だったかもしれません。

しかし、いまでは「値札」が見えてしまいます。「良い人間関係を得られる価値の対価」としての飲み会という「商品」になり、その対価と見合わない内容であれば参加しない、という判断が下されます。

スライド5

経済的価値は代替可能なものだと言われています。お金に換算できるため、その価値と見合わなければ排除されます。

「飲み会」や「忘年会」はすでに文化的価値を失い、経済的価値として見られた場合に、見合わないものとなっているのかもしれません。「飲み会」は文化的価値から経済的価値へ転化した典型的な例となりそうです。

このように、「きまり」は時代とともに変化していきます。

心地よかった「きまり」が、次第に窮屈になり、経済価値に置き換わり、対価と見合わなければ、排除される。そんな現状がいまの企業文化にはありそうです。

スライド7

5.ビジョン/ミッション/バリューを心地よい「きまり」へ

では、どうすればいいのか?
そこで企業はいまビジョンやミッションやバリューを求めています。

いままで売上や業績や株価という「経済価値」で測ればよかった企業価値が、経済価値だけでは測れない、もしくは、それだけでは人が集まらない社会になりました。「値札つきのりんご」だけでは人が集まらなくなった。

これまでの「きまり」の変化が訪れています。

ビジョンやミッションやバリューという新しい「きまり」を設けることで、経済価値ではない文化価値を醸成する可能性が生まれます。

スライド6

ここで重要なのは、ビジョンやミッションやバリューを「経済価値」で測ってはいけない、ということです。これまで見てきたように、文化価値は経済価値で測った瞬間に、意味を失います。「飲み会」のように必要のないものになってしまいます。

もちろん、ビジョンやミッションやバリューだけが文化をつくるわけではありません。それに類するものでいかに組織の新しい「きまり」をつくっていけるのか。それがいかに「心地よいきまり」にできるかが、重要ということがわかります。

『文化人類学の思考法』(世界思想社)という本で、松村さんはこのように書いています。

「なにが贈与交換と商品交換とを区別しているのか。文化人類学では、それらを次のように区別してきた。贈与交換は人と人をつなげ、商品交換は関係を切り離す。『贈り物』は贈り主のことを想起させる(=人格化)。一方、『商品』は作り手や売り手を無関係なものとして切り離す(=非人格化)。」(『文化人類学の思考法』、p88)

これは結構怖い指摘です。

贈与交換というのが今まで見てきた「贈り物」だとすると、こちらは人と人の関係を育みます。しかし、商品交換では関係を切り離されてしまう。つまり、労働者と雇用者の間でも経済価値の交換だけであれば、関係は切り離されてしまう、ということです。

いかに「心地よいきまり」で、「人と人の関係」を育むのか。企業文化づくりの肝はここにありそうです。それによって「心地よいはたらく」が生み出される気がします。

文化人類学というフレームワークを借りてくると、より大きな目線で企業文化が見えてきます。「値札のないりんご」をいかに作れるか、経済価値と文化価値をいかに混同しないかなど、この「文化」というものを扱う秘密が文化人類学にはもっとありそうです。

(おまけ)
松村圭一郎さんが雑誌「広告」のイベントにて、「価値と人類」というテーマで語ったものがnoteにありますので、ぜひ読んでみてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?