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日々のこと 0114

最近読んだ本から。
角田光代・穂村弘「異性」(河出文庫・2012年)が面白かった。
私は電車に乗る時は本が必要なのだが、その日はカバンになくて地下街の本屋でなんとなく買った。もともと角田光代も穂村弘もわりと好き。この共著、大変面白かったので紹介します。

私は基本的に「恋愛もの」が苦手だ。
誰かと誰かが、愛とか恋とかグシャグシャするものにあんまり興味がない。切ない恋愛エキスが織り交ざるようなのは好きなのだが、真っ正面から「恋愛ドラマ」「恋愛小説」「恋愛ムービー」と謳われるものが苦手。
他人の恋愛はどーでもいいなーと思ってしまう。知らないA子さんとB夫さんの事情まで構ってるヒマがない。ドロドロもめんどくさい。
この世に私と全く同じ恋愛なんてひとつもない。私とA子さんは違う人、彼とB夫さんは違う人。参考にならないし自分の恋愛に生かせるわけでもない。
しょせん人は人。恋愛はその最たるものだと思ってしまう。

なのに、世の中の映画やドラマは「恋愛って付けとけば女性は飛びつくだろう」と思われている節がある。私のようにめんどくさがりで色気に欠ける女にとっては惹句にならない。私は、私に関係ある恋愛話が知りたい。ミニマムな対処法が知りたいのだ。

しかし「異性」は面白かった。ミニマム体験のオンパレードなのに「わかるー!」と共感の嵐。新発見もいっぱいあった。ちなみにこれは恋愛小説ではない。往復書簡エッセイという感じ。

「男と女は互いにひかれあいながら、どうしてわかりあえないのか。カクちゃんとほむほむが、男と女についてとことん考えてみた恋愛考察エッセイ」。
同じ人間であるはずの男女の感覚のズレを、2人が交互にラリー形式の文章で紐解いていく。それぞれの実体験を含めた鋭い見解が展開する。角田光代は穂村弘の文章に「ああ、男性はそう考えるのか!」と驚き、穂村弘は角田光代の文章を踏まえて「女性は謎だ」と考察が広がっていく。
全てのページにヘッドバンキングしすぎて私の首は折れ、目からはウロコをぼとぼと落とし続けてしまった。

例えば、男女の「所有感覚」の差について。男が「別れた後でも3%くらいは自分の女だと思ってる」のに比べ、女はパートナーを「所有」するという感覚がない。コレクターは圧倒的に男性に多い。女性が靴を集めるのは所有欲ではなく「物欲」だという。な、なるほど…。

男たちは頭の中でサッカー日本代表の「俺的ベストメンバー」を考えたりするのが好きだ。あれも所有の喜びのバリエーションだと思う。彼らはネット上の掲示板などで「俺的」と「俺的」をぶつけあって意見交換をしたりする。勿論、そこに現実の日本代表になる可能性のある人物はいない。中にはサッカーをやったことがないひとだっているだろう。そんなことは関係がないのだ。単に、脳内で所有感覚を行使することが楽しいのだから。
それから、ブランデーグラスを片手に、高層ビルの窓から夜景を見下ろしながら、「くくくくく、俺の街」みたいな成功者のイメージもある。「俺の街」ってところがやっぱり所有だ。この場合も、彼が実際に街を支配するような権力を握っているかどうかは実はさほど関係がない。「高層ビルの窓から夜景を見下ろし」ていることが重要なのだ。

(穂村弘・P162)

どうして男性の多くが、スポーツの試合を見ていて「おれだったらこうするのに」と言うのか、私にはずっと謎だった。(略)穂村さん、よくわかりました。見ている、それだけで、選手も監督も、チームも、彼らの所有物だったんですね。
(略)その所有のありようは、女性にとってあるときは「いやーんキモー」だろう。が、もう一方で、甘やかな何かでもあるはずだ。髪を切ったとき、恋人でもない男性が「あ、短いの似合うね」と言う。大勢でごはんを食べているとき、恋人でもない男性が「本当におまえは食うの遅いよな」と言う。
ここで問題なのは、好意を持っているから無意識に所有してしまった、とか、恋情が無意識のうちに所有につながってしまった、というわけではないこと。つまりなんだっていいわけでしょ。(略)なのに私たちは錯覚する。

(角田光代・P166)

「ひとつの恋愛は、女にとっては長編マンガ。男にとっては四コマ漫画の集まり」という穂村さんの説も、とても納得。別れる時に「私たちの出会った意味はなんなのか」「あなたは一瞬でも本気で私を好きだったか」と問いただしたい角田さん。男性にとっては面倒な修羅場。「四コマ漫画を女性が望む壮大な長編劇画にまとめ直すなんて、簡単にできない」という穂村さん。
相手から贈られたモノを、別れたら即ゴミ箱行きにする女、「モノはモノ」と使い続ける男。「さかのぼり嫉妬」「誠実モンスター」などなど、パンチラインもてんこ盛り。お2人の言葉の操り方も流石。本当に目からウロコを無限コンタクトレンズのように落としまくってしまった。

「男とは、女とは論」は昔からあるが、角田さんと穂村さんは「男女の代表的なモテキャラ」ではない。本人たちが「自分はちょっと外れ者」と認識している感じも面白い。角田さんも穂村さんも、年齢や環境的にももう恋愛にキーキーしておらず、俯瞰して男と女を見る視線に安心感もある。男と女の言い分は、平行線ではなく対立でもなく、カーブの曲線がスッと重なっていく部分もあって「あ、そこは一緒なんだ」と、こちらも安心したりもする。

こういう話、女性が好きそうだけど、これは男性も面白いと思う。いや、性別でひとくくりにまとめてはダメだった。男にも女にもいろんな人間がいる。フェミニズム団体に怒られそう。
でも、私は「男ってワケわからん」と考えることで、雑にあきらめたり納得できたりするのは、意外と悪くないと思っている。
私はやっぱりどこまでも女だし、理解できない男の人の感覚にムカつきもするが、だからこそきっと惹かれる。
・・・なーんてね。そんな寛大な心で、違う生き物に接することができたらいいよね。大いに違うのはよく分かった。それでもムカつく時はムカつくし、そうだったらいいな、という願望込みで言いました。「異性」、面白かったです。


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