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日々のこと 0806

待つのは、わりと平気な方です。待たせるより、待つ方がいい。
でも基本「待ってる相手が必ず来る」のが前提。来るか来ないか分からない人を待つのは、ツライ。
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』という映画を見てから、「待つ」ことについて、なんとなく考えたりしています。

カフェで働く男性が、一人旅に出ちゃった女性をずーっと待ってる。
カフェの男(ジュード・ロウ)は、たまに彼女(ノラ・ジョーンズ)から届くハガキを受け取っては、手当たり次第にそれっぽい場所に電話して消息をつかもうとする。でも見つからない。お店を続けながら、彼女の帰りを待っている。
この話、他にも「別れた妻をずーっと待ってる夫」「放蕩娘をずーっと待ってる父親」が出てきます。
ウォン・カーウァイの映画には「待つ人」が多い気がする。でもここでは、待つのは全て男性側。「男が待つ」というのは、とても良いな。

昔、飲食店でバイトしてたことがあります。バイト仲間の何人かはその後、店に憧れて自分の店を持ちました。でも私には、店は務まらないと思う。「待つ側」にはなれないからです。
その店は「帰省する人や久しぶりの人が来てくれる時期だから」という理由で、必ずお盆も営業してました。
店というものの最も素晴らしいところは「いつもそこにある」ってとこだと思います。ラーメン屋でも、居酒屋でも、「今日やってるかな?」と覗き、灯りがついていた時の安心感。待ってくれてる場所がある幸福。

でも、待つって、しんどい。
昔のヒット曲に「待つわ」ってのがありました。地元出身の女性二人組だったこともあり、合唱とかでずいぶん歌わされました。
「いつまでも待つわ~、いつか貴方が誰かに振られる日まで~」という、なかなかにつらく執念深い曲でした。良い曲ですけどね。黙って待ち続けるのは、やっぱりしんどい。

でも『マイ・ブルーベリー・ナイツ』での「待つ」は、素敵なことに思える。待つのも悪くない。錯覚か。「待ってて」と言われたら待つかなあ。いや、ダメだ。待ったら負け。
実は、私はいつまでも待ち続けちゃう人です。だから待たない。

誰かとはぐれたら、片方は待たなきゃいけない。両方とも動いたら二度と会えない。カフェで待つジュード・ロウは、彼女を追う旅には出ず、ずっと待ってるのです。いろんな人の預けていった「鍵」をガラス瓶に入れ、人々が取りに戻るのを待っている。

待つ側も、待つことで自分を肯定できるなら、それはきっと幸せ。
「待ちたい何か」があることは、希望でもあると思うから。

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』、無料配信中なのです。8月18日まで。素敵な映画。とてもお勧め。

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『マイ・ブルーベリー・ナイツ』
(ウォン・カーウァイ・2007年 香港・中国・フランス)
ジュード・ロウが恰好良い。音楽はライ・クーダー。オーティス・レディングはじめR&B、ソウル、ジャズがいっぱいかかるのも私好みです。


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