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【連載企画】動物園物語

1971(昭和46)年に開園した宮崎市フェニックス自然動物園。当初はにぎわいを見せていましたが、娯楽の多様化などで来園者は減少。また、野生生物の国際取引を規制するワシントン条約により、動物の確保も難しくなっています。歴史をひもときながら生き残りに向けた取り組みを紹介し、将来像を考えます。また、写真共有アプリ「インスタグラム」を開設し、表情豊かな動物たちの写真を多数投稿していきます。「宮崎日日新聞写真映像部」で検索してみてください。

このコンテンツは2020年1月12日から12月21日まで通年連載として宮崎日日新聞社本紙掲載されたものです。


表情生き生き いいね!

宮崎市フェニックス自然動物園を舞台にした連載「動物園物語」。日曜日の社会面に掲載し、「宮崎日日新聞写真映像部」のアカウント名で開設している写真共有アプリ「インスタグラム」にも投稿している。動物たちの愛らしい姿や生き生きとした表情は記者をとりこにする。これまでに撮影した写真の一部を紹介する。※動物名は一部略称

キリンとシマウマ
チンパンジー
ミーアキャット
ケヅメリクガメ
オランウータン
ラマ
ライオン
ベニコンゴウインコ
ペンギン
フラミンゴ

1.開園

 半世紀にわたり県民に愛され続ける宮崎市フェニックス自然動物園。その歴史を振り返るとき、創設に情熱を燃やした2人を抜きには語れない。オーナーだった佐藤棟良さん(1919~2015年)と初代園長の片山望さん(1932~2019年)だ。開園までの2人の足跡をたどり、物語の幕を開くことにする。

■県民の夢 情熱で実現
 幼少時代のある日、佐藤さんは祖母と故郷の日南市北郷町から都城市まで歩き、列車を利用して鹿児島市内の動物園を訪れた。道中、歩き疲れて惨めな気持ちに。「貧乏県の宮崎には動物園がないから」と祖母に言われ、その悔しさを忘れることはなかった。
 約40年後、観光業で成功していた佐藤さんは、知事や宮崎市長に動物園開設の要望が殺到していたことを知る。約10億円を要する見通しだったが、オーナーに名乗り出た。「動物園が宮崎にないと、県民は県外に行くことになるから」と語っていたという。
 佐藤さんは園に詳しい人物をトップに迎える考えだった。そのうわさを聞いたのが、山口県の公立動物園で立ち上げや運営に関わってきた片山さんだ。開園1年前の1970(昭和45)年に来県すると、佐藤さんが経歴と手腕を高く評価していることを知り、その日のうちに承諾した。

サバンナを思わせる展示スペースにたたずむマサイ
キリン。右奥の獣舎は開園当初のままだ=宮崎市フ
ェニックス自然動物園(広角レンズ使用)    

アフリカから80頭調達
 自然に近い形で動物を展示しようと試みたのが、シマウマやキリンなど異なる種を同じスペースで展示する「混合飼育」。序列争いが起こる危険もあり他園は避けていたが、佐藤さんは「プロらしく挑戦を」。片山さんも腹を決めた。「アフリカで調達しよう」
 現地に2カ月ほど滞在して野生動物を見て回り、約80頭を連れ帰った。それからは異なる種を引き合わせ、少しずつ慣らしていった。こうして開園の準備が整っていったのである。
 1971(同46)年3月、園の前身「フェニックス自然動物園」が誕生。しばらくは人の波が押し寄せるほどの盛況だった。

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