見出し画像

消えたお誕生日ケーキ



初めまして。

みやなりちあきと申します。

私は千葉県船橋市で、

小麦・卵・乳製品を使わないお料理教室や

グルテンフリーの米粉のパン・ケーキの

レシピ開発の仕事をしています。



この仕事をしているのは、

自分が小麦アレルギーであったり、

3歳の息子が生まれてすぐ

ひどいアトピーだったから

というのもありますが、



自分の母親への

感謝の気持ちと謝罪の気持ちが

あるからなんです…。



母親はとっても家庭的で、

穏やかな女性。


お休みの日には、私と4歳下の弟に、

手作りのお菓子やパンを

作ってくれる母親でした。


秋になると思い出すのですが、

学校から帰ると、

パンプキンパイのいい香り。


このパンプキンパイは、

私も弟も大好きでした。



そんな私の母、

実は、母が1歳の頃、

父親を胃ガンで亡くしています。



だから、

母は自分の父親のことを

全く覚えていません。



だから祖母は、

大変苦労しました。

どうにか子ども達を

養うために、1人で必死に働いていたそうです。



一昨年、祖母が亡くなった時に、

叔父から、聞いたのですが、

住み込みで働いていたこともあるそうです。



幼い母は、1人…知り合いのところへ

預けられていたりもしました。



母は、とても大変な幼少期を過ごしました。



そんな母の将来の夢は、

お嫁さんでした。



大人になって、お嫁さんなんて、

恥ずかしくて言えないかもしれませんが、


幾つになっても、

母の夢は、お嫁さんになって、

家族と仲良く平凡に暮らすことでした。



一つ屋根の下、

自分の子ども達と一緒に過ごし、

普通に食卓を囲むこと…



普通だけれど、

それが夢でした。



子供が生まれたら、

一緒にお菓子作りがしたいなと、

ずっと願っていたそうです。



そして、

21歳で父と結婚し、

翌年には私が生まれました。



4年後には、弟も生まれました。



母は、

私たちと出会い、

私たちと一緒に、

幼い頃から描いていた夢を叶えてくれました。



休みの日には、

ホットーケーキやパン作り。


甘党の父の巨大ケーキが食べたいという希望を叶えるため、

ブルボンの超大きなクッキー缶をくり抜いて型を作り、

巨大スポンジケーキを焼いてみたり。



私たちのお誕生日には、

朝からスポンジを焼いて、

お家の中はいい香りに包まれていました。



生クリームを泡立て、

缶詰の桃とパインを並べて、

ほっぺに生クリームをつけながら、

お誕生日ケーキのデコレーション。



本当に楽しかったです。



今でも、

母が一緒に叶えてくれた夢は、

私にとっても大切な宝物です。


そして、

この母の夢は、

私にも、夢を与えてくれました。



大きくなったら、

私も母のように、

自分の子どもとこんな暖かい、

手作りの時間を過ごしてみたい。


そんな素敵な夢を、

与えてくれました。



しかし、

私は、母にひどいことを

言ってしまったのです。



「誕生日にケーキなんかいらない」と、

行ってしまったんです。



私は、小学校6年生の頃、

拒食症になってしまいました。



自分のことが



大嫌いで、

大嫌いで、

大嫌いで、



自分で自分を戒めるために、

食べることをやめてしまいました。



体重が減っていくことだけが、

自分で自分を認められる瞬間でした。



ですから、

太る代表のようなケーキなんて、

もっての他でした。



私が、

「誕生日にケーキなんかいらない」



そう私が行ってしまったときから、

母の手作りのお菓子やパンや…

お誕生日ケーキは…



食卓に、

姿を見せなくなってしまいました。



母は、「食事を食べなさい」と

叱ることもなく、



何も言わず、

ただただ、

みんなと同じ食事を、毎日、

私の席に並べてくれました。




でも、

二度と、

母の手作りのケーキは

もう、食卓に上ることはありませんでした。



母と一緒に夢を叶え、

夢を描いてきたはずなのに、



私の一言で、

母と一緒に作り上げていた夢は…

一瞬で消えていってしまいました。



だから、

私は、

「手作り」にこだわるのです。



「手作り」を大切にしています。



アレルゲンフリーのパンやお菓子は、

私が料理の仕事を始めた5年前とは

比べ物にならないほど、

流通するようになり、



気軽に食べられるようになってきました。

ですから、

作らなくても、購入すればいいかもしれません。


買ったほうが、見かけもいいかもしれません。



でも、私は、

母から受け継いだ「手作り」の幸せを

忘れたくないのです。



自分が料理教室を始めたの頃は、

小さな小さな、

普通の小麦のパン教室でした。



私は小麦アレルギーになり、

第二子はアトピーっ子で生まれてきて、



パンやお菓子の教室を

諦めなければいけない壁に

ぶつかったこともあります。



でも、

私には、諦めることができませんでした。



母から夢をもらった

感謝の気持ちと、

母と一緒に叶えてきた夢を

自らの手で終わらせてしまったことへの、



償いの気持ちを

形にするために、

この仕事を諦めたくなかったんです。



だから、

まだまだ米粉のパンやお菓子が

知られていなかった5年も前から、



ひたすらに米粉を、

研究して、

研究して、

研究して、



誰かに、

伝えたくて、

伝えたくて、

堪らなかったんです。




今、日本では、

食物アレルギーを持つ子は、

8人に1人、もっと増えていると言われています。



アトピーや喘息などのアレルギー疾患を持つ人は、

2人に1人とも言われています。



だから、アレルギーで、

「手作り」の時間を諦めてしまいそうな人、

諦めてしまっている人のお役に立ちたいと、

この仕事をしています。




アレルギーがあっても、

健やかで、心まで満たされ、

家族みんなで仲良く食卓を囲めるような、

ごはんとおやつ、

そして、お誕生日ケーキをお伝えしています。



私がこの料理、

米粉のパンやお菓子を一番伝えたいのは、

母にもらった手作りの幸せの夢をもう一度取り戻そうと、

必死で研究して頑張っていた

自分なのかもしれません。




自分に小麦アレルギーがあっても、

自分の子供がアトピーで食事制限が多くても、

母からもらった手作りの幸せの夢を

叶えたかった自分。




手作りで、多少不格好でもいい、

お店みたいにカッコよくなくっても

いいじゃないですか。



一番大事なのは、

幸せを共有する時間です。



私が今、

子供たちと手作りの幸せの夢を

叶えられているのは、

米粉のおかげです。



米粉は扱いにくく、

難しいですが、

コツやポイントを抑えることで、

劇的に美味しく仕上がります。

YouTubeのレシピも簡単に作れるものを、

ご紹介していますので、

ご覧になってみてくださいね^^



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?