摂食障害の「厄介な生徒」
今朝、洗面女の前に立ち、「またやってしまった」と、気がついた。アイブロウを買い忘れてしまった。
眉毛がないと、女って情けない顔。
今日の眉毛は、アイシャドウでなんとか済ませた。
いつも、買おうと思って家を出るのに、1週間買い忘れ。いい加減、アマゾンで買った方がいいのかもしれない。今日もこれを書きながら、忘れたことを思い出している。
メイクといえば、中学2年の頃。私は拒食症真っ只中で、痩せ過ぎだった。30キロ近くまで、体重が落ちていた。
なので、とても顔色が悪かった。
廊下ですれ違いざまに、ある先生に、こんな風に言われたことがある。
「もっとマシな口紅の色選んだら?」と。
まぁ、掃除はちょっと態度も悪かったから、そう言われるのも仕方がない。
遅刻は週に4回以上で(ほぼ毎日)こっそり席についているという、ふざけたヤローだった。(たまに堂々と入って座る。笑)
不登校に近いくらい、早退や遅刻繰り返していた。遅刻しない日は、欠席している感じだった。
とは言っても、私は別に不良だったわけではなく、遅刻早退、欠席を繰り返している理由があった。
摂食障害で心と身体が、とても不安定だったのだ。
そんな、遅刻欠席だらけだったので、私のことあまり知らない先生から見ると、
「厄介な生徒」のくくりに入っていたのかもしれない。
でも、学年主任の先生は、担任でもないのに、いつも心配してくれていた。
私が保健室にいると、保健室にもよく来てくれた。
担任でもなければ、保健室の先生でもない。
自分のクラスの【理科の先生】だっただけなのに、
休みがち、保健室住民のような私の血圧なんかを計測機で測ってくれていた。学年主任なんて、責任ある立場で、しかも、教科も持っている。とても忙しいはず。
人と話すことが苦手だった私。あまり喋らない私に、なんやら色々笑いながら話しかけてくれたことも覚えている。
心臓外科に検査に行くように、親にも言ってくれたりしたのも、この先生だった。
中学時代お世話になった先生の中で、1番、
「ありがとうございました、私、今元気です。」と、伝えしたい先生かもしれない。
当時は、内科に行っても、自律神経失調症と言われるし、外科に行っても異常なし。
どこに行っても…
【摂食障害】とは、誰も言ってくれなかった。
でも、自分ではわかっているようで…
でも、自分自身では、自分が摂食障害であることを受け入れたくなかった。
メイクの話を書いたりしてると、当時の自分のことや風景ををよく思い出す。
先生の授業、大好きだったな。いつも楽しみだったな。
恰幅の良い、ニコニコした、おっちゃん先生。
きっともう定年してるだろうな。
あれから、22年。
私は、おかげさまで元気にやっています。
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