拒食症の我が子とどうコミュニケーションをとるか?


何度か書きましたが、私、中学の頃、


拒食症で、30キロくらいでした。


一気にこの症状が悪くな流時期がありました。


秋です。


毎年、この時期になると、
食べることの大切さと、


そんな私を陰ながら、
支えてくれた母のことを、
考えるんです。


初めて、拒食症に陥ってしまったのは、
小学校六年生の頃。


プチセブンという、
ティーン向け雑誌の付録に、
カロリー計算表があって、

好きだった男の子が、
細い子が好きなんだ〜ということがわかり、


ちょっとやってみようかなと、
ダイエットを始めたのがきっかけ。


私、生真面目なもんだから、
ずんごい毎日ストイックに、


カロリー計算して、
つけて行ったんですよね。


給食も、母が作ったご飯も、
ずべて食べた分のカロリーを
書き出し、数値化していました。


そして、自分の体格から、
基礎代謝を計算し、


基礎代謝以上、
カロリーを取らないという、
そんな過酷なことをしていたんです。


そうすれば、
必ず痩せるから。


当たり前ですが、
ガンガン痩せました。


最初は、
好きな男の子に振り向いてもらいたいから、
綺麗になるためだったのに、


いつのまにか、


摂取カロリーと、
消費カロリーの計算を
ピタッと当てはめることの快感と、


体重計が示す数値に、
快感を覚えるようになっていたんです。


ここまできたら、


もう、

誰にも止められない。


自分の世界なんです。


誰がなんと言おうと、
聞こえないんですよね。


「邪魔をするな」


という、感覚に陥るんです。


危ないから、親は一刻も早く、

抜け出してほしいと焦るでしょう。


でも、母は、
ズカズカと私の心には、
入ってこなかった。


多分…すごく、心配していたと思います。


中学生なんて、

本当ならとってもピチピチしていて、

血色も良くて、可愛いお年頃。


なのに、


我が子はどんどん痩せ細っていき、
顔色が悪くなる。


そんな状態の娘を、
心配しないわけがないです。


でも、


母は、そんな私に、
「食べなさい!」とは、
一切言わず、


ただひたすら、


毎日、私の席に、
食事を作り続けてくれました。


食べない日があっても、

何かは食べてくれるだろうと、


無言のメッセージを、
食事に込めて、


いつも並べてくれていました。


私が何か食べたいというと、
必ずそれを用意してくれていました。


母親の作るグラタンが大好きで。


カロリーは高いがずだけど、

たまに、すごく母のグラタンが食べたくて、

「作って」と言っていました。

美味しかったです。


秋になると、ガリガリの私は、体温調節ができず、


寒くて、早退してばかりいました。


その時も、
そっと、暖かいミルクィーを、
無言で大きなマグカップにたっぷり、
用意してくれていました。


こんな母の心遣いのおかげで、
私は、そんな状態でも、なんとか救われていたんだと思います。



母は、とても、
コミュニケーションが上手な女性だったんですね。


言葉を使わないコミュニケーションが、

すごく上手だった。


食事って、言葉を使わなくても、

「何か」を伝える力がすごくあります。



心配でも、食べて欲しくても、
元気に学校に行って欲しくても、


当時の私に必要な、
コミュニケーション方法で、
接してくれていたんですね。



母は偉大です。

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