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短編小説【2020年・お米だって、パンになってみたかった】

「あれ?」

お米さんは、思っていました。


「急にみんな疎遠になってきてない??」


戦後、給食にコッペパンが登場してから、
どんどん日本中にパンが広がり、
今まで、日本中のみんなに愛されていたお米さん。


どんどん、ハイカラなパンさんに、
みんなの注目が集まり、
お米さんはみんなと疎遠に…


お米さんは、パンさんに嫉妬していました。


「自分って魅力がないのかな…
もう、必要ないのかな…」


「私もパンになれたらいいのに。」


そこでパン職人の元を訪れてみました。


「私もパンになれますか?」

すると、


「バカ言うんじゃないよ!
グルテン持ってないお前が
パンなんかになれるわけないだろ!
帰った帰った!」


諦めず、
色々なパン職人を尋ねても、
軽くあしらわれる毎日…


「やっぱり無理なのかな…
私はこのまま忘れて、
どこかに消えていくのかな…」


公園のベンチでため息をつく、
お米さん。


そんな時に、砂場で、
おままごとをしている親子を見つけました。


「パンが焼けたよ〜!」


ふっ、またパンかよ…


お米さんは、ふと我に帰り、

そんなことを思ってしまった自分の、
自分の心の醜さに、
心がぎゅっと締め付けられてしまいました。


しかしながら、その時、
その子のママは言ったのです。


「〇〇ちゃんが食べられる、お米のパンが焼けたね!」


えっ???
お米さんは、耳を疑い、
親子に尋ねました。


「お米もパンになれるのですか??」


すると、


「あればいいなと思って…
この子は小麦アレルギーなんです。
でも、絵本に出てくるパンに憧れていて。」


そうなんだ…


私はパンにならなきゃいけない!!


お米さんは心に決めました。


「私がパンになってみせます!
待っててくださいね!」


お米さんは、
パン職人だけでなく、
パン工場、食品研究員、
料理の先生、農家さん。


来る日も来る日も、
たくさんの人に会いに行きました。

口下手なお米さんでしたが、

いっぱいいっぱい、
お願いをして回りました。

たくさん断られてきました。

でも、あの親子のことを思い出すと、力が湧いてきて、どんな時でも頑張ることができました。


それから、
6年後の2020年。


お米さんの努力の甲斐あって、
お米のパンは、
スーパーにも並ぶようになりました。


お米さんは、親子にお米のパンを届けるために、
あの公園に行きました。


小学生になったあの子と、
お母さんを見つけました。


どうやら、お買い物の帰りのようです。


声をかけようとしたとき、
お米さんは、
ふと、お母さんの右手の買い物袋に
目が行きました。


ぴょこっと飛び出ているのは…

米粉パンだ!!!


お米さんは、嬉しくなって、
声をかけようかと思いましたが、


楽しそうに手を繋いで帰路につく、
親子の邪魔になるかなと、


声はかけずに、
そっと、その場を去りました。


良かったな…
私には、私のパンの役割がある。


小麦のパンさんにはできないことがある。


小麦のパンさんのように人気者にはなれないかもしれない、
でも私にも夢や希望を与えられるんだ。


頑張っていこう!!!


お米さんは、
公園で出会った親子から、
自分自身も夢や希望を貰ったのでした。


おしまい。
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私が米粉パンと出会った2013年ごろは、グルテンフリー 、
米粉のパンというのはまだまだ知られておらず、


美味しいか美味しくないか、そんなことすら議論されないほど、知名度がありませんでした。


それから、
農家さんや製粉会社の方の努力により、
米粉パンが作りやすいお米の品種や製粉技術が開発され、
家庭でも簡単に米粉パンが作れるようになってきました。


でも、米粉パンの硬くなりやすい性質上、
なかなか、流通にのせるのは難しかったのです。


しかしながら、様々な企業様の努力の結果、
2020年、とうとう、
AEONなどの大手スーパーでも、
米粉パンが買えるようになったのです。


たくさんの方の努力のおかげで、
アレルギーっ子親子が、
生きやすい世の中になってきました。


本当に、ありがとうございます。


PS※誰か挿絵描いてくれませんか笑

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