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溶ける都市の行方

コロナによる「職住近接の暮らし」から見えてくるもの

コロナの影響を受けた私たちは、移動が制限され、リモート勤務を余儀なくされました。それは緊急事態宣言が解除された今も、「職住近接の暮らし」というある種の価値観として残っています。

この「働く場」と「住む場」といったような1つの目的が同じエリアに混在する、もしくは同じ空間に同居すること自体はコロナ前から特定のエリアや働き方をしている人にとっては珍しい話ではないですが、この流れが都市の土地利用として、より個人や企業の裁量で機能するのではないかという気もします。

「混ざる都市」から「溶ける都市」へ

このような場の柔軟性に対する考え方は、コロナきっかけで加速するにせよ、今までの都市計画の系譜からも考えられるんじゃないかなーと思ってみたり。

戦後都市拡大期の都市は、目的別でエリアの用途を制限していました。都市の中心を設定し、そこに関連する形で、商業・住居・農業・工業それぞれの理論で変化する空間を平面的に配置。計画的な配置により「用途純化」を指向していました。

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▲ 饗庭伸 著『都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画』より

一方、人口減少期になると、用途純化に穴が生まれてきます。世代交代のタイミングで農地を住居にしたり、何も使われていない空き家がポツポツ発生したり。都市計画の枠のなかで都市をコントロールすることが難しくなってきてしまう。。都市計画家の饗庭伸さんは自著「都市をたたむ」でこう述べています。

都市拡大期の土地利用規制が指向していた「用途純化」の方針は180度の転換を迫られ、小さな規模でいかに土地利用を混在させるかが課題となってくる。例えば、農地と住宅と工場、森林と商業施設…といった異なるスピードをもつ空間をいかにスマートに混在させていくか、ということである。

上記のような、土地の用途を「区切る」から用途が「混ざる」へその姿を変えた都市は、アフターコロナの時代に「溶ける」という新しい概念をもたらすんじゃないか。これは、饗庭さんの言う1つのエリアで複数の用途をもつ土地が混在することに加え、1つの土地の中でも複数の用途をもつ環境が前提となる、つまり、より土地の用途は個人の事情によりコントロールされるのではないかという視点です。

では具体的に、どのような複合的な用途を持つ空間が増えてきているか、いくつか整理してみました。


⑴ 居住空間のオフィス利用

これは言わずもがなですね。私の周りにも「家のインテリアに馴染む、機能性の高い家具を買った」という人が多くいるので、コロナ後も自宅を仕事場として利用する人は多そうです。職場の先輩は、ただ家具を変えるだけじゃなくて、ツールを駆使して高低差を変えたりモニターを増やしたり、かなり意識して心地よい空間をカスタマイズしてました。ここまでくるともはや作業するだけならずっと家にいたくなりますね・・

heyheyさんの家_アートボード 1

⑵ 商業空間の住居利用

ホテルで空いた客室を住居として活用する動きです。マンスリーマンションなどの長期滞在型のホテルは今までもありましたが、「観光」としてのホテル利用から、家の側での宿泊ニーズが高まっている、つまり住居のオルタナティブとして受け入れられていることが新しい。今回コロナに合わせてローンチされていましたが、共働きの親が子供を預けたり、DV被害者の逃げ道など、今後も一時的な避難場として活用されそうな予感がします。

⑶ 商業空間のオフィス利用

カラオケやホテル等がコワーキングスペースとして利用されているという、こちらもよく耳にする話。これがwithコロナならではの使い方なのか、それともafterコロナのスタンダードになるかについては引き続き考えていきたいと思います。

⑷ 公共空間の商業利用

公共空間に関する話題については、道路占用許可基準を国が大幅緩和したことが新しいかと思います。

今までの制度と最も異なる(と私が思っている)点は、その実施目的にあります。簡単にいうと、今まで道路空間で実施してきた社会実験は「歩行者中心且つ賑わいのある道路空間の構築」を目的としていたのですが、今回は、「新型コロナウイルス感染症の影響を受ける飲食店等を支援する緊急措置」として位置付けられています。つまり、「まちの賑わいのため」という社会命題から、「個人の事情でパブリックスペースを活用して良いよ(他人に迷惑のかからない範囲でね)」というパーソナルな理由を寛容しているということです。これを機に、良い意味で個人がパブリックスペースに介入できるという意識を持つ人が増えてくるんじゃないかと思っています。

⑸ 商業空間の公共利用

先ほどとは逆の、商業空間がより公共性を帯びてくるんじゃないかという話です。商業空間は、経済原理に従ってデザインされるのが普通です。売り上げをできるだけ上げるため、効率よく人を空間の中に入れ、購買行動に繋がりやすい動線や商品陳列の設計がなされています。

しかしコロナという危機によって見えてきたのは、感染対策としての物理的な必要性に止まらず、小さな商業拠点が地域のセーフティネットとして機能するのではないかという仮説です。家から少しだけ離れた距離に別のコミュニティがあるという安心感は、ご近所づき合いの少ない都市だからこそ必要な機能なのだろうなと思います。

あと、「場が公共性を帯びる」ということはどういうことなのかという問いについては、別の記事でもう少し掘り下げていきたいと思います。

場への想いと想像力

他にもありそうな気はしますが、ひとまず気になる動きを整理してみました。今後よりハードとしての空間には柔軟性が求められるようになるでしょうし、場に関わる一人一人が場を更新できるだけの余白や、逆に更新するためのフックを作るような設計が必要になってくるのかなと思います。

どちらにせよ、「ここの空間は商業施設だから〇〇」「ここは公共施設だから〇〇」といったべき論はどんどん通用しなくなって、自分たちがどうありたいかという人の想いベースで空間が自由に使われて行くようになるからこそ、個人のアイデアや想像力がより求められる時代になってきているのだろうなと感じています。


おわり







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