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#106茶色い弁当。

一週間に一度、わたしには忙しい朝がやってきます。それは弁当を作る日です。子どもたちがまだ学生だった頃、わたしは当たり前のように弁当を作っていました。わたしの弁当を彼らは「茶色い弁当」と呼んでいました。それは嫌味でもなんでもなく事実でした。

真っ白いご飯と卵焼きの黄色以外は、なぜか茶色いおかずが並んでしまうのです。そこにプチトマトやちょっと塩漬けにしたキュウリをピクルス風に添えるかすれば、もう少し見た目はおしゃれになったはずなのですが、そこまでの努力をする精神的な余力が当時のわたしにはありませんでした。

「週に二回は学食で食べてもいいかな?」
息子の申し出はありがたいことでした。彼も作り立てのうどんやおにぎり、唐揚げなど美味しいものを食べられるし、わたしも弁当を作らずに済むのですから。

「もう一度弁当作りを再開するか」
そう思ったのは昨年の春、妹に励まされたからです。妹夫婦はそろって弁当を職場に持参しており、特に旦那さまが弁当を楽しみにしているというのです。

「いつも同じおかずで本人は満足なのよ。ウインナーと卵焼きがあれば、それ以外は何でもいいんだって」
準備したおかずを、夫婦がそれぞれ自分の弁当箱に詰めて出かけて行くのだそうです。弁当でういたお小遣いを、自分の好きなことに使うこともまた、旦那さまの楽しみなのだとか。

うちはお小遣い制でもなく、テル坊は社食かコンビニで買った好きな物を、好きなように食べていました。弁当を持っていくのを喜ぶかどうかもわかりません。でも、

「週に一回くらいなら、飽きずに食べてもらえるのではないかな」

そう思って作ることにしました。生活の中に「これを頑張っている」と思えるたしかな手応えをわたし自身が求めていたのです。

弁当を持参することにテル坊は賛成も反対もしませんでした。もう少し喜んでくれたらいいのにと思う気持ちもありましたが、そのうち淡々としてくれていることをありがたく感じるようになりました。弁当を褒められすぎると「もっと上手に作らなくちゃいけないのでは」とプレッシャーに感じますし、「もういらない」と言われたらきっと凹んでしまうでしょう。弁当はあってもよし、なくてもよし。そんな状態であることが、わたしが自分のペースで弁当を作ることを後押ししてくれているのです。

「明日は忙しいぞ」
月曜日の夜は、なるべく早めに寝るようにしています。弁当の日を火曜日に設定しているからです。テル坊の要望ではなく、わたしの独断で決めました。火曜日が終われば、残りの平日はのんびりした朝を過ごせる、そのために頑張ろうと思えるからです(笑)。

火曜日は可燃ゴミのゴミ出しと、資源ごみのゴミ出しも重なっています。資源ごみは収集場所が離れたところにあり、遠くまで持っていかなくてはなりません。いつもより30分早く起きて、台所をバタバタと駆け回り、スタスタと歩いてゴミを捨てに行き、いつもの時間に朝食を済ませたテル坊を送り出すと、清々しい気持ちが胸いっぱいに広がります。

「ああ、よく頑張ったな、わたし」

ちなみに弁当のおかずは相変わらず茶色いものが多いです。お肉や切り干し大根、ひじきの煮物やてんぷらなど。でもピーマンを炒めたりブロッコリーを茹でたり、緑色のおかずも使うようになりました。

「行って来ます」
こうしてテル坊は火曜日の朝、少し茶色いお弁当を持って職場へと向かうのです。





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