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二匹の子グマ。

ある晴れた秋の日のことです。
「グッション、グッション!」
母グマが大きなくしゃみをしました。お絵かきをしていた二匹の子グマはびっくりして、黒目をキョロキョロさせました。くしゃみのせいで机がぐらぐらゆれたのです。
「風邪ひいちゃったみたい」
母グマは娘たちにむかってニッコリしましたが、その声はガラガラでした。

その日一日、ベッドに休んでいた母グマは、夜になっても元気になりませんでした。熱も上がってきたようで、吐く息がしめっています。姉のターシャも妹のニーナも心配になって、ベッドのまわりを四つんばいでグルグルまわりました。母グマは目をつぶったままです。

「お姉ちゃん、おなかすいた」
ニーナがこらえきれず、小声でターシャに言いました。
「そうだね、ちょっと待ってて」
ターシャはそっと扉をあけて外へ出て行きました。うら庭でかっているにわとりの小屋へたまごを取りに行ったようです。

「あった、あった」
もどってきたターシャの手のひらには、白くて丸いたまごがコロンと一つのっかっていました。にわとりは毎日一こしかたまごをうみません。母グマはいつも三日分のたまごを大事にとっておいて、ゆでたまごにしたり、スクランブルエッグにしたり、粉とまぜてホットケーキをやいてくれたりするのです。

ターシャは慣れない手つきでフライパンをうごかし、目玉やきを作りました。はしっこが少し焦げています。皿にのせた目玉やきをニーナの元にもってくると、
「あんたが食べな」
と差し出しました。
「お姉ちゃんは?」
「あたしはいらない」
そう答えたターシャのおなかが、グーっとなりました。ターシャはいそいでコップに水をくむと、音を立ててのみほしてから、
「これで平気」
と言いました。

ニーナは目玉やきをぺろんと食べてしまいました。
(これじゃあぜんぜん、足りないや)
今度はニーナのおなかが、グーっとふまんげになりました。ニーナもターシャのまねをして、コップの水をごくごくのみほしました。

あれから三日がたちました。今日も青空が広がるよい天気です。家の外では、母グマのかわりにターシャが洗濯ものをほしています。ニーナは部屋でひとり、ままごとをしています。ままごとをしているニーナの口のはしから、ツーっとよだれがたれてきました。
(おなかがすいたなあ)

このところ三匹のクマたちはうすいスープしか口にしていません。昨日の昼間、ターシャとニーナは二匹でアリの巣を探してまわりましたが、見つかりませんでした。この頃はハチの姿を見かけることも少なくなりました。もう夏とはちがうのです。夏に口にしていたえさは、手に入りにくくなったようです。秋はどんぐりのおいしい季節です。ニーナはままごとをしながら、去年のことを思い出していました。はじめての冬眠にそなえ、親子はそろって山の中をかけまわり、どんぐりや山ぶどうをおなかいっぱい食べたのです。母グマはおいしい木の実を見つけるのが上手で、

「ニーナ、ほら、そっちにあるよ」
「ターシャ、頭の上の枝を見てごらん」
と、二匹の子グマに木の実の探し方をおしえてくれました。あんなにおなかいっぱいになったのは、生まれてはじめてでした。おかげで三匹はさむい冬の間も、一度も目をさますことなく眠りつづけることができたのです。

ニーナのおなかが、グーっとなりました。
「また、おなかをならしてるの?」
洗濯かごをもったターシャが、もどってきて言いました。
「ならそうとして、なるんじゃないもん。勝手になるんだよ」
ニーナはブスっと返事をしました。
「ごめんね。もうちょっとしたら、きっとよくなるから」
二匹の話をきいていた母グマが、弱々しい声でいいました。まだベッドにふせったままです。ときどきゴホゴホとせきが出ます。

ターシャが手まねきして、ニーナを家の外につれ出しました。
「わたし、出かけてくる」
「どこへ?」
「どんぐりひろいに」
ニーナはびっくりしました。どんぐりひろい?去年歩いたのは、ずいぶん遠い場所でした。山を三つほどこえたのです。母グマですら、帰り道を迷いそうになったのです。
「去年どんぐり探した場所、おぼえてるの?」
「なんとなくね」
ターシャはもう行くと決めているようです。背筋をぴんとのばしています。
「夕方にはもどってくるから。母さんにはだまってて」
「うん、わかった」

ひそひそ話がおわると、眠っている母グマをおこさないように、二匹の子グマはそっと家の中に入りました。ターシャはいそいそと出かける準備を始めました。タンスの奥の引き出しから、草色のリュックを取り出して広げています。母グマがいつも使っているやつです。たくさんのどんぐりが入るのです。ニーナは落ち着かなくて、机のまわりをグルグルまわりました。

「じゃあ、行ってくるからね」
黄色い帽子をかぶりリュックをせおったターシャの黒目が、きらきらと光っています。
「ちょっと待って」
ニーナがいそいで何かを取ってきて、ターシャの首にまきつけました。三角の赤いネッカチーフでした。ちょっと前に山の中で、ボーイスカウトの男の子の落としものをひろったのです。ニーナの宝物です。

「ありがと」
ターシャが出かけて行きました。ニーナは家の外でだまって見おくりました。ターシャはふりかえりもせず、ずんずん歩いていきます。うしろ姿がどんどん小さくなっていき、やがて見えなくなりました。風がふいて木々の葉っぱがゆれました。キー、ピー、鳥のなき声がひびきました。ニーナは鼻をクーンとならしました。

お昼をすぎた頃、母グマがのっそりとベッドからカラダをおこしました。
「やっと元気が出てきたみたい。あら、ターシャは?」
「母さん!」
ニッコリ笑う母グマの顔を見ると、ニーナは内緒にしててと言われたことなどすっかり忘れ、ターシャがひとりでどんぐりひろいに出かけたことを話しました。
「そう」
母グマはそれ以上なにも言いません。
「だいじょうぶ。あの子はしっかり者だから」
それを聞いてニーナもほっとしました。
(そうだ。お姉ちゃんならきっとだいじょうぶ)

そのうち日がくれて、辺りが暗くなりはじめました。ターシャはまだ帰ってきません。どうしたのでしょう。
「母さん、ターシャを探して来るわね。あんたはうちで待っているのよ」
母グマは太い声で言いのこすと、家をとびだしていきました。

(こわい、こわい)
家の外からだんだんと暗やみがせまってきます。ぶきみです。ニーナはじっとしていられず、ごろんごろんと転がりました。こわいは消えません。ニーナは毛布を頭の上からかぶってみました。

(こわい、こわい)
おなかの上の辺りがドクンドクンと音を立てています。こわいはまだ消えません。時計の音がチクタク、チクタク、部屋にひびいています。じっとしていると、こわいはどんどん大きくなっていくようです。

(こんなことしてちゃだめだ)
ニーナは毛布から顔を出して、部屋をぐるりと見まわしました。いつもと変わらない部屋なのに、ひとりぼっちだとなんてさみしいのでしょう。泣き出しそうになったニーナは、ハッとしました。

(お姉ちゃんはたったひとりで、どんぐりひろいに出かけたんだ)
ひとりぼっちで、まだ暗い森の中を歩いているターシャのことを考えると、ニーナの目かからスーッと涙がひいていきました。

台所のいすに母グマのエプロンがかけてありました。ニーナはそれを自分のおなかにまきつけました。なんだか急に内側から元気がわいてきました。

(母さんの仕事、わたしがかわりにやらなくちゃ)

ニーナは、母グマが夕方にいつもどんなことをしていただろうかと考えました。外に出て洗濯物をとりこみました。タオルから、ほかほかとお日様のにおいがします。おふろ場にいってお湯をためました。これでターシャたちが帰ってきた時、すぐにおふろにつかれるでしょう。さいごにうら庭にはなしていたにわとりを小屋へつれていき、入り口のカギをかけました。にわとりはいやがらず小屋に入り、ワラの上にすわるとしずかに目をとじました。

「ただいま」
明るくはずんだターシャの声と、
「ただいま」
低くておちついた母グマの声がしました。いつのまにか眠っていたニーナは、ハッと目をさましました。ターシャの顔は泥だらけです。

「どんぐりひろいに夢中になって、坂から転げおちちゃったの」
くるりとふり向いたターシャの背中のリュックが、重たそうにたわんでいます。よく見ると、首にまいていたはずのネッカチーフがありません。かわりに右ひざに赤い布がまいてあります。
「ひざをすりむいた時にこれでしばったの。汚してごめん」
「洗えばいいよ」

ターシャがぶじに帰ってきました。半日はなれていただけなのに、まるで久しぶりに会ったみたいな気分です。ニーナの心にうれしさがこみあげてきました。二匹は喜びのあまり、四つんばいになって追いかけっこを始めました。どしんどしんとぶつかりあって転がりました。お互いの背にのっかってかみつきあい、それからやさしくなめあいました。二匹は元気な子グマそのものでした。

「ねえ」
おふろに入ってきれいになったターシャの背中の毛を、ニーナがタオルでふいてあげていると、ターシャがいいました。
「なあに?」
「今日の夜、母さん、絵本読んでくれると思う?」
二匹の子グマにとって絵本の時間は、一日でいちばん楽しい時間でした。おなかいっぱい食べることの次に大好きなことでした。
「読んでくれるといいね」
ニーナが答えました。

ターシャがまだ何か言いたそうに、背中をもぞもぞさせました。
「あのね、今日だけ母さんのおひざ、わたしにかしてくれない?」
ニーナはおどろいて、目をクリっとまわしました。ニーナはずっと、母グマのひざの上は自分の特等席だと思っていました。自分より大きくて、自分よりしっかり者のターシャが、母グマのひざの上に座りたがっているなんて、考えたこともなかったのです。ターシャの背中が急に小さく見えました。まるで子グマそのものです。
「いいよ、お姉ちゃん」
ターシャがふりむいて、にっこり笑いました。

台所では母グマが、三日ぶりにエプロンをまいて、どんぐりのたっぷり入った栄養満点のスープを作っています。母グマは小さく鼻歌を口ずさんでいます。もうすぐ夕食の時間です。




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