見出し画像

うまうまなボリート・ミストを食べ、食物連鎖やアニマルウエルフェアを考える。

今 ヨーロッパではコロナの感染が再爆発中で、私の住むイタリアでも今日は1日で12万人超えの感染者が出た。またもやイベントなどの中止が相次いでいるけれど、こんな状況になるちょっと前、ギリギリセーフの12月16日、「ブエ・グラッソ祭り」に行った。

ブエ・グラッソというのは、ピエモンテ牛の中でも、4歳を超えた去勢雄牛のこと。ピエモンテ中から牛自慢の生産者が手塩をかけて育てた牛を連れて集まり、その大きさや姿形の美しさを競うのが「ブエ・グラッソ祭り」というわけだ。

朝っぱらに食べるミックス茹で肉「ボリート・ミスト」


普通の人が牛の品評会と聞いても、あまり行きたい気がしないと思う。でもブエ・グラッソの祭りで何がお楽しみかというと、その日は町中のレストランやイベント会場で「ボリート・ミスト」が食べられることだ。ボリート・ミストとは、日本語に直訳すると「ミックス茹で肉」(笑)。牛肉の7つの部位と、頬肉やタン、テールなどの部位7種類。それぞれにあった加熱時間で別々に茹でたものを、「バニェット・ヴェルデ」というパセリをベースにしたソースなどなど、いろいろなソースをつけて食べるという料理。ピエモンテを代表する冬のご馳走で、ちょっとおでん的な感じかもしれない。

Carruの人気トラットリア「Vascello d'oro」のシェフとボリート・ミスト

なぜ朝なのか? 


そのボリート・ミストを、ブエ・グラッソの祭りの日には朝の7時ごろからどこででも食べられるというから驚いた。朝っぱらから肉? と聞くと

「昔、トラックや列車がない時代、ピエモンテの各地から牛を連れてやってくる生産者たちは、夜中に家を出発して、牛と一緒に夜通し歩いてカルーまでやってきました。だから朝到着して、牛を品評会会場に繋いだら腹ペコで、ボリートを食べたというわけです」とカルーの市長さん(35歳という若さでしかもイケメン!)が教えてくれた。その習慣が伝統になって、今でも祭りの日は朝食べるのがキマリらしい。品評会をのぞいた後、8時ごろ町の人気レストランへ行ってみると、満席の店内は赤ワインと茹で肉を頬張る人々で盛り上がりまくっていた。

マッシモ・ボットゥーラも賞賛するピエモンテ牛の実力

 ピエモンテ牛は、日本では馴染みが薄いようだけれど、牛肉としての品質はイタリアで最高峰とも言われている。去年、ロックダウン明けに食べにいった、モデナの「オステリア・フランチェスカーナ」でも、世界最高峰シェフであるマッシモ・ボットゥーラ自らが「今夜はイタリア最高の牛肉を堪能してください」といって出してくれたのは、ピエモンテ牛の料理だった。トスカーナの某有名レストランのシェフは、Tボーンステーキをピエモンテ牛で作るという噂も聞いたことがある。

オステリア・フランチェスカーナのピエモンテ牛の一皿。やっぱり生に近い感じで仕上げてある。

あのカルパッチョの原型がここに! 

脂肪と赤身がきっぱり分かれているのに柔らかいのが特徴で、生で食べるのが真骨頂と言われている。生肉=「カルネ・クルーダ」といって、タルタルステーキのように包丁で叩いて、でもタルタルみたいにごちゃごちゃ味をつけず、上質なオリーブオイルと塩だけで食べる。肉の味がしっかりするのにギトギトしていなくて、ほんとうにおいしい。薄切りスライスで食べるレシピもあって、そっちはカルパッチョの原型と言われている。やっぱりこちらもソースなどは一切かけず、オリーブオイルとレモンと塩、パルミジャーノチーズを薄く削ったのをのせていただく。うちの娘は小さな時から、醤油をつけてマグロの赤身のように楽しんでいる。

1トンを超える牛たちの美貌比べ、実は。


 で、カルーという町の牛祭りの話だ。ピエモンテ州のこの町では、なんと1473年という昔からずっと、牛の品評会と、それに続く競りが行われていたそうだ。同じピエモンテ州のアルバが白トリュフのメッカなら、カルーは牛肉のメッカというわけだ。

 祭りの当日、まだ夜明け前の6時半、牛を積んだトラックが続々と到着し始める。すんなり会場入りする牛、嫌だ嫌だと尻込みをする牛、怒ってモオーと雄叫びをあげて、周りを騒然とさせる牛。1トン以上もする牛に踏まれたりどつかれたりしたら大変なことになるから、ちょっと牛が暴れると、みんな顔色が変わる。でも徐々に全ての牛たちは手すりに繋がれて、大人しくなる。怖がりの牛は目隠しなんかされている。疲れちゃったな、と座り込む牛もいる。

白くて、胸が広いのがピエモンテ牛

優勝したら、あっという間に屠殺される


 賞をもらった牛は価値が上がるから、お祭りの後、遅くとも2日以内には売られて、肉になるんだという。それを聞いたら、なんだか、とても嫌な気持ちになった。なんだ、優勝だとかなんとか言っても、それは結局、人間が嬉しいだけの話で、牛たちは殺されて食べられてしまうんじゃないの。

 このところ、ずっとアニマルウエルフェアのことが気になって、いっそヴィーガンになってしまおうかと、時々考えていた。そんな気持ちが、牛たちを見ていたらまた浮かんできた。だけど今ひとつ、ヴィーガンになることに納得がいかないままだ。動物が可哀想だから、環境に悪いから、森林破壊をするから、動物を食べるのをやめる。それって全て、人間視線じゃないだろうか? 食物連鎖の頂点に立つ人間が他の動物を食べるのは、自然が生み出した摂理のはずだけど、一方で牛は、人間に食べられるためだけに生まれてきたわけじゃないはずだ。そんな思いがいつも、ぐるぐるしているんだけど、勉強不足の私には、それ以上の答えが出せないでいた。

QRコードなんかつけられて審査され中の牛たち。

ところがこの日取材させてもらった、絶滅しかけていたピエモンテ牛を復活させたというセルジョ・カパルドさんの話は、私の目からウロコと疑問をポロポロ落としてくれた。

大量生産の畜産と、小規模で丁寧に育てる生産者と。

ーまず、環境破壊やアニマルウエルフェアについては、「早く」「安く」「大量に」が優先される工業的大量生産の畜産と、小規模で丁寧に牛を育てる生産者を一緒に考えてはいけないこと。

ー肉を食べるのをやめるという考えは、丁寧に動物を育てる小規模生産者の人たちの、文化や歴史、生活までも否定して、無くしてしまうこと。

ー全ての人類がヴィーガンになったら、牛も豚の鶏も絶滅するわけで、たとえば牛が草を食べ、フンをすることで土壌が豊かになっていた自然のサイクルも消えてしまい、環境破壊は加速すること。

ボリート・ミストを食べ、セルジョさんのこんな話に感動した私は、ヴィーガンになるという選択肢はきっぱり捨てることにした。やっぱり高くても丁寧に育てられた、いい肉だけを買って、食べることに決めた。おいしいのはもちろんだし、環境にも、身体にも、動物自身のためにもいい育て方をした肉だけを食べる。それで高いのであれば、仕方がないのだ。





サポートいただけたら嬉しいです!いただいたサポートで、ますます美味しくて楽しくて、みなさんのお役に立てるイタリアの話を追いかけます。